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津軽の霊地・猿賀神社 御祭神の伝説が面白い〜猿賀公園①

今回は青森県平川市にある猿賀公園を巡ってきました。

google map より

猿賀神社があり、隣の盛美園も含めるとかなりの敷地になり、数多の碑があります。

まずは、猿賀神社を参拝してから碑を巡っていきます。


なぜか、正面から撮り忘れたので、変な角度の写真で失礼します。

猿賀神社

御由緒

猿賀神社は武人であった上毛野君田道命(かみつけぬのきみだみちのみこと)を祀る神社です。8世紀に坂上田村麻呂の霊感によって現在の猿賀神社付近に祀られました。
初め、深砂宮(しんしゃぐう)(神蛇宮)と崇められ農業・漁業・諸産業・交通安全の守護神として地方唯一の津軽の霊地として仰がれている神社です。
明治4年に猿賀神社と改称されています。

上毛野君田道命の伝説

御祭神の上毛野君田道命は崇神天皇五世の孫であり、仁徳天皇の命令により陸奥の蝦夷が暴れていたのを平定しようとしたが、悔しくも伊寺の水門で敗戦した。この時、妻も「同じ道に伴ひ給むれ」といってなくなっている。

ある時、蝦夷が集団で田道命の墓を暴こうとた時、大蛇が二匹出現し、その蝦夷の集団を食い殺し、あるいは、毒で撤退させた。

死してなお、貢献した忠誠により、神号:蛇田明神となった。

という伝説があります。猿賀神社が水神と関係が深いのもここから来ているかと。伊寺の水門とは現在の宮城県石巻市の鳥屋崎と云われ、ここには鳥屋崎神社があります。

仁徳天皇の55年、上毛野田道将軍東征の事あり、海上安全を祈願し無事伊寺水門鳥屋崎に到着したので此の地に港湾の神伊豆能売神を鎮祭ると伝う。(口碑)延喜の制当郡十座の一小社に列る。(延喜式)市内羽黒町に鳥屋神社ありてここを奥宮とする説あり。

宮城県神社庁HP 鳥屋神社(鳥屋崎神社)より

とあり、関係がありそうですね。

猿賀神社 石碑位置

記憶に頼って書いているので、アバウトですが、こんな感じの配置。

社額 藤原人頼

社額

社額は藤原人頼。位は神祇権少史。残念ながら人物の詳細は不明です。

龍の彫刻がリアルです。眼がイキイキとしてますね。

上毛君田道神霊

拝殿脇に小さい祠があり、上毛野君田道神霊が祀られています。

写真に馬が写っています。初め、軍馬かと思いましたが、猿賀神社の伝説に洪水の際に御祭神が白馬に跨ってやってきたというのがあるようです。きっとそこから来ていると想像します。

立派な石の上に立ちます。

書は佐々木高汀。明治12年に宮内省勤務であった佐々木氏が勅命で訪問時に書いていったようです。

右側に立っている石灯籠。ここに刻まれている字がいい。
石工は倉嶋鉄太郎氏です。

@山乃辺 時久 様よりいただきました、灯籠と馬について。
灯籠は昭和7年の銘があり、石工は倉嶋氏、馬は昭和9年の銘があります。馬については石工の名前が彫られているようですが、よく読めませんでした。

note初のコメントでした。反応があるの嬉しいですね!ありがとうございました!

参道にある石碑

参道の両脇にいくつかの石碑が立っています。

・獅子魂碑
・猿賀神社 由緒碑
・清藤半十郎大人之碑
・福士政勝顕彰碑
・芳賀徳蔵先生

これらは次回以降にまとめていきます。

アクセス

〒036-0242 青森県平川市猿賀石林175
弘南線 津軽尾上駅から徒歩約24分

参考文献
・『南津軽郡町村誌』,東北通信社,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1042081
・編輯者不詳 ほか『伊寺水門蛇田故事 : 附・田道公碑文語』,山口啓之助,明21.5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/879877

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