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短編 苛立ちと心地良さの間で

 70㎡で8千万からだって。
一体誰が買うんだろうね。

  ポストに入っていた新築マンションの広告をみて、独り言のようにつぶやいた。

 実際に、8千万円のマンションを買っている人の顔が想像できない。
 いや、同じ人間なのは分かるけど、学生時代同じクラスにいたのだろうか。と、疑問に思う。


「都心の新築は、両方高収入のパワーカップルや海外の投資家が買ってるって、何かで聞いたかも。」

 彼がキッチンからスプーンを持ってきて教えてくれた。

いただきます、と言ってさっき買ったコンビニのアイスを二人で食べる。


「でも、実際今の時代、持ち家なんて考えられないわ。だって賃貸の方が色々と動けるし、これから仕事もどんどんリモートになっていくし、好きなとこ住んで、引越しして、そこから仕事して、みたいな時代になってくよ。
頑張って毎年固定資産税払って、ローン完済したときは、都心も少子化で周りは空き家ばかりで、結局財産にならないよ。二束三文。」

と、私が好きな声と喋り方で話す。
うんうん、と頷いてはいるが、話の内容はなんか、カクカクして聞いてられない。


私と彼はつきあってもうすぐ1年だ。
多分彼は私と結婚すると思っている。

でも私は正直迷っている。

「でも子どもが生まれたら、引っ越しとかできなくなるじゃん。だったら、最初から買う方が安いんじゃない?」

と、あえて呼び水。
そうすると、またその話かという顔を一瞬覗かせたが、またすぐ元に戻って冷静に話した。


「だからさ、子どももさ、この時代に産むのなんてありえなくない。かわいそうじゃん。
これだけ日本が後進国になってきてるから、今の時代に生まれてもずっと貧しいだけの人生かもよ。

そして子どもを育てるのに、俺たちの時間もお金も浪費するじゃん。だいたい会社の先輩の子どもいる人から、まったくいい話聞かないわ。」


彼は人生の選択をすべて勝ち負けや損得で決めてきたのだろう。それ自体は悪くない。

ただ、誰もが勝ち続けたり、得をし続けることは出来ないのに、まるで自分だけはその特権を持っていると勘違いしている。

よりラジカルで洗練されたものだけを追い続けても上手くいきっこないと、私でもわかるのに、彼にはそれが分からない。

要は、どすこいカロリー使って説き伏せるのに疲れるのだ。


 ではなぜ私は彼と一緒にいるのか、それは心地良いからだ。知性や中身ではなく、彼の雰囲気が好きなのだと最近知った。

 雰囲気というのは、顔が好きや声が好きと同じ地平線上にあり、決して人間性ではなく、フィジカルだ。つまりセックスの相性の重要なファクターだ。

 私たちは、いつもあまり物事を考えず、身体の心地よさばかりを優先するから、相手の雰囲気にのまれ、内容を聞いていない。

だから、相手にどれだけ裏切られても、騙されても、意外に平気だったりもする。

私たち人間は結局は心でなく、身体でつながっているんだなぁと思った。

じゃあ、セックスもしなくなった夫婦って何で繋がっているの??

「そんなのお金に決まってるじゃん。」
と彼はベッドの隣で甘く囁き、大きな欠伸をひとつした。

苛立ちと心地良さの狭間で私はイヤホンをして眠る。


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