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コンビニのイートインコーナーに置かれたカードローンの申込書

先日コンビニのイートインコーナーでスナック菓子を食べた。私は普段からイートインを頻繁に使うわけではない。しかしその日は炎天下の中長い距離を歩いていたため、疲れていたしお腹も減っていた。そのためイートインでスナック菓子を食べて休憩しつつ、腹を満たしつつ、涼むという一石三鳥の合理的行動を取ったわけである。

チートスのチーズ明太子味を、地下労働をしているカイジが焼き鳥とビールを豪遊した時並みに感涙しながら食べていると、私はイートインコーナーの机の上になにやら置かれているのに気が付いた。

それがこれである。

そう、カードローンの申込書だ。

皆さんはカードローンが何か知っているだろうか。私は知らなかった。チートスをボリボリ食らいながらスマホで調べてみると、カードローンとは申し込むと契約した枠内で借金が出来る物であり、ATM等から直接借金した現金を引き出せるらしい。要するにクレジットカードのキャッシング機能と同じような物である。

指に付いたチーズ明太子味の粉を舐めとりながら新しい知識を獲得した私であったが、疑問が湧いてきた。

「何故コンビニのイートインにカードローンの申込書が置いてあるのだろうか」

申込書を入れた箱には年収の1/3超も貸付可能などという景気の良い文句が書かれている。怪しい匂い満載である。そもそもキャッシングのような形態の借金は預金口座にお金があれば必要のない借金であることは常識的に考えて分かる。どう考えてもカードローンを使う層がかなり金銭的に余裕が無い事は自明だ。

Wikipediaで調べてみると、昔は銀行の融資が断られるような人々が消費者金融やクレジットカードの借り入れをしていたが、このような形態で借り入れをしていた人々の自己破産が社会問題化した結果年収の1/3を超える貸し出しは出来ないという規制が入り、その結果年収による規制のないカードローンが、前まで消費者金融やクレジットカードに頼っていた層への貸し出しの主役になったのだという。

ここまで分かれば十分である。コンビニと貧困。ありがちな取り合わせだ。

コンビニは現代日本の都市において生活のインフラになっている。誰でもコンビニを利用するし、コンビニが提供する各種サービスは最早単なる小売業者の範疇を超えている。私を含めた都市生活者にコンビニ無しの生活は考えられないし、特に、貧困層はコンビニへの依存度が高いという。貧困であってもコンビニでおにぎりやカップ麺は買う。そうであれば、そのコンビニにカードローンの申込書が置いてあるのも合理的な判断である。

低賃金労働で疲弊した男がコンビニに入る。くたびれた顔で男は商品棚を物色し、カップ麺を手に取る。男はレジで軽い財布から151円を取り出して支払いを終えると、カップ麺にお湯を入れイートインの座席に座る。カップ麺が出来上がるのを待ちながら、男はまだ18日間ある今月の食費を財布に入った3428円でどう乗り切るかを考える。借金をしようにも男の収入では銀行の融資は断られた。ため息を吐いた男は机の上にカードローンの申込書が置かれているのに気が付いた。男は手を伸ばす。

ここまで想像して、チートスを食べ終わった私は、空になった袋をゴミ箱に捨ててイートインコーナーを後にする。

路上に出ると、ムワッとした熱気が襲ってきた。

まだまだ暑い日は続く。

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