[ユダヤ文化と聖書 1]ハヌカとクリスマス ー光の祭典を祝うー
12月になると、アメリカのショッピングセンターの掲示や有名ブランド広告に「Happy Hanukkah」が表示されます。これは、ユダヤ教の「ハヌカ」という祭りを祝うメッセージです。ハヌカの祭りは、紀元前2世紀のマカバイ戦争を記念した祭りです。
当時、イスラエルの地は、セレウコス朝シリアの支配下にあり、ユダヤ教への弾圧がありました。シリアは、彼らのギリシャ(ヘレニズム)文明を広める占領政策をしていたのです。
ユダヤ教の聖所であるエルサレム神殿をけがし、ユダヤ人に異教の慣習を押し付けました。
このシリアの圧制に戦いを挑み、多勢に無勢の中、ユダヤを独立にまで導いたのが、ハスモン家です。ハスモン家が、神殿を奪還しユダヤ教を絶滅の危機から救ったことを祝うのが、ハヌカです。
1. ハヌカとクリスマスの歴史的な関係
ハヌカとクリスマスは、同じ季節にありますが、直接的な関係はありません。ハヌカは、ユダヤ人の独立戦争の勝利を記念した祭りです。他方、クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝うキリスト教のイベントです。
しかし、歴史的に、ハヌカがなければクリスマスはない、ということもできます。そもそも、もしユダヤ人がギリシャ化政策に屈して、ギリシャの宗教を受け入れていたら、(旧約)聖書は消滅し、その後のユダヤ教もなく、キリスト教も発生していません。
また、イエスの両親の住むガリラヤ地方は、マカバイ戦争とそれに続くハスモン朝の勢力拡大によって、ユダヤ人が住むようになりました。
この地域は、かつて「異邦人どものガリラヤ」(イザヤ書8:23)と蔑まれていました。あまり、ユダヤ人は住んでいなかったようです。
このガリラヤは、B.C.104年にハスモン朝の王アリストプロス1世が遠征し、ユダヤの領土となりました。それまで、ユダヤ教の影響力が小さかったガリラヤ地方にも、多くのユダヤ人が住むようになりました。
マカバイ戦争によるユダヤ人の独立というきっかけがなければ、マリヤとヨセフがガリラヤの町ナザレで出会うこともなく、イエスの誕生もなかったのではないでしょうか。その意味で、ハヌカなくしてクリスマスなし、といえます。
2. 光の祭典ハヌカ
ハヌカは「光の祭り」とも呼ばれます。祭りは8日間続いて、ユダヤ人の家の窓辺には、ハヌキアと呼ばれる燭台に火が灯されます。1日ごとに1本ずつふやして点火していき、8日目に全部が点ります。
これは、マカバイ戦争時の「神殿の奇跡」を記念するものです。ユダヤ人は、自分たちよりもはるかに強いシリア軍に勝利をおさめた後、神殿に向かいました。
神殿の祭壇を清めるためです。 シリアは、イスラエルの神を侮辱するため、豚を祭壇に捧げ、またギリシャ風の偶像礼拝をしていました。
そんな汚された神殿で七枝の燭台(メノラー)を灯すための注ぎの油が見つからず、必死に探してやっと見つけたのは、油の坪ただ一日分だけでした。
この時、聖油が一日分しかなかったにもかかわらず、なんと8日間も火が灯り続けていました。その間に、彼らは新しい純粋なオイルを準備し、宮を清めることがができた、という奇跡を祝うため、ハヌキアに光を灯すわけです。
3. 光の祭典としての共通点 クリスマス
クリスマスも、光を強調する祭りです。「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった」で始まる、新約聖書「ヨハネの福音書」では、光なるイエス・キリストというモチーフが描かれています。
暗い暗い闇の中に差し込んできた一筋の光であるイエス・キリストの誕生を祝う祭りが、クリスマスです。
キリストは「すべての人を照らすまことの光」です。この光によって、恵みとまことの時代がやって来ました。
私たちを罪の囚われから解き放ち、心を自由にしてくれるイエス・キリスト。その光なるイエスが、この地上に救い主として誕生したことのお祝いゆえに、クリスマスには、キャンドルサービスなど、光を使うわけです。
このように、ユダヤ教のハヌカとキリスト教のクリスマスとは、起源も違うお祭りですが、歴史的につながりがあり、光という点でも共通項を見出すことができます。
寒い季節がやってきました。今年も、各地でイルミネーションが輝いています。光の温かさが、家庭の中に保たれますように。
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