時代劇レヴュー・番外編⑥:大唐帝国のドラマ(4)隋唐演義(2013年)

大唐帝国シリーズ、四回目。

2013年に中国で放送されたドラマで、日本市場向けにDVDも発売されており(原題も「隋唐演義」であるが、日本版は「集いし46人の英雄と滅びゆく帝国」と言う副題がつけられている)、現在は複数の動画配信サイトなどでも配信されていて、比較的視聴が容易な作品である。

タイトルの通り、隋の中国統一から滅亡を経て、唐の天下統一までを講談風に描いた全六十二話の大長編であるが、物語自体はテンポも良くて非常に面白く、長編と言うことを感じさせない作りであった。

タイトルこそ「隋唐演義」であるが、実際には同じ清代の通俗小説『説唐』をベースにしていて、人物設定もそっちに準拠している。

『説唐』がそうであるように、歴史ドラマと言うよりは豪傑達のチャンバラを楽しむのが主旨なので、史実的には滅茶苦茶な展開が多いが、日本の往年のテレビ時代劇よろしく、そんなことが全然気にならないような痛快なストーリー、とにかく「面白い」と言う表現が適している作品であった。

主人公が危難に遭う度に「そんな馬鹿な?」的な展開で救われたり、距離感と時間の流れが不自然(例えば、楊勇が皇太子を廃位されて煬帝が太子となり、次いで煬帝が文帝を弑殺して即位するのが、わずか二三ヶ月のうちに行われたかのような印象を受ける描写があったり。もっとも、こうした時間の流れが不自然なのは本作に限らず、この手の中国ドラマではありがちであるが)、大将同士の一騎打ちで勝敗が決定する合戦など、ストーリー的には破綻している所だらけなのだが、それも含めて面白い。

何より、魅力あるキャラクタ達の個性が際立っている。

俳優陣もはまっていて、主人公格である秦叔宝を演じる厳屹寛(イエン・クアン)は、日本の時代劇の剣豪よろしくきりっしたイケメン(最近見かけないが、TBSの時代劇「水戸黄門」で四代目助さんを演じた岸本祐二にちょっと似た俳優であった)で、君子人の李世民だったり、腹黒宰相の宇文化及(史実の宇文述・智及を兼ねているキャラ)だったり、デフォルメされてはいるものの、それぞれのキャラクタもわかりやすかった。

唐の建国の功臣の一人である李勣は、作中では「徐茂公」と言う名で登場するが(これは李勣の旧名「徐世勣」の字が「懋功」なので、「徐懋功(じょぼうこう)」をもじったもの。原作である『説唐』でもそうなっている)、史実とは違って勇将ではなくミステリアスな風貌の軍師である。

豪傑達の中で一際印象的だったのが、程知節(作中では「程咬金」、彼もまた唐の建国の功臣の一人)で、これを演じた姜武(ジャン・ウー)は、コミカルかつ、時にちょっと癖のあるトラブルメーカーと言った役どころで、それで言てどこか憎めない演技が秀逸であった。

前半は、彼が画面に出て台詞を言うだけで思わず笑ってしまうようであった。

「暴君」として知られる隋の煬帝も、序盤から存在感のキャラクタであるが、特に後半の煬帝の描き方は、狂的な暗君と切れ者が相半ばしている感じと言うか、狂気なのかと思えば、ふとした時に鋭さが顔をのぞかせるようなシーンもあり、悪役ながら魅力的なキャラクタになっていた(煬帝を演じたのは富大龍=フー・ダーロン)。

また、女優陣も美女ばかり集めたと言う感じのラインナップで、その中でも妖艶な悪女の䔥皇后(煬帝の皇后)を演じている白冰(バイ・ビン)はかなり美人で、こちらも悪玉ながら煬帝同様、全編を通じて存在感を放っていた。

それだけに、終盤で彼女が割合あっけなく殺されてしまったのは少し残念であり、史実では䔥皇后は貞観年間まで存命であるので、したたかな女性に描かれていたがゆえに、個人的には最後までしぶとく生き延びて欲しかった。

ヒロイン格の一人である単盈盈を演じた唐藝昕は、アイドル然とした可愛らしいキャラクタで物語に華を添えていた。

後、さほど物語には絡まないが、紅仏女(唐建国の功臣である李靖の夫人)役の呉暁敏も、どこかミステリアスな雰囲気があって個人的には好きな女優である。

豪傑揃いの登場人物の中でも最強なのが、李元覇と宇文成都(宇文化及の子と言う設定)で、元覇は唐の高祖・李淵の四男(史実では三男)、成都は『説唐』に登場する架空の人物である。

このふたりはライヴァル関係で、隋滅亡前の最終決戦で相打ちみたいな感じで死ぬのであるが、その戦いの描写は、チャンバラを通り越してキン肉マン的往年の格闘漫画風で、思わず笑ってしまった(笑)。

このように話数が多いだけにかなり多くのキャラクタが登場するが、一応皆末路まで描かれていて、置き去りにされた人物がほとんどいないのはよく出来ていると思う(強いて探せば、竇建徳の娘の勇安公主と、前半に出てきた叔宝の義理の叔父の羅芸だけが、途中からどっかに行ってしまったくらいか)。

最後に、個人的に面白いと思ったことを書いておく。

登場人物の豪傑の中で、羅士信(史実の羅士信は「羅成」と言う名で登場し、この人は架空の人物)は勇猛、所謂「愛すべき馬鹿」ポジションとして描かれるのであるが、途中から殺人の味を覚えたのか(!)、笑いながら敵の首を引きちぎるシリアルキラーみたいな感じになってしまう。

中国の古典小説では、この手の知性がないゆえの残忍さと言うのは、一種の愛嬌みたいな感じで扱われるのであるが(士信は基本的に世俗の権力や社会通念などは屁とも思わないキャラクタで、唯一絶対視していて言うことを聞くのは義兄の叔宝の存在だけなので、このあたりはやはり通俗小説『水滸伝』の李逵と宋江の関係に似ている)、この手のキャラクタは日本だったら絶対に受けないであろう。

言わばある種の日中の「文化」の違いと言うべきであろうか。


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