写真をプリントする意義について
AIが進化し、レタッチを超えた高度な編集が可能な時代、アナログの形として残るプリント写真の良さについて再考したい。
デジタル画像は、簡単に色調整や加工ができるが故に、いつまでも未完成のままで保管することができる。これは、後でどうにでもなる手軽さによる保険のような感覚がある。
何枚でもシャッターが切れるデジタルカメラと、一枚一枚重みのあるフィルム写真にも似た感覚を覚える。
とりあえずシャッターを保険でたくさん切っておこう。とりあえず、こんな感じの編集で気に入らなければ後でなんとかしよう。
仕事ではない趣味なのだから、そのくらい肩の力を抜いて楽しもうよ。という気持ちもわかるが、何年後も見返して好きな写真は、ここぞという時の気持ちがこもった写真のことが多い。
今回のテーマ【プリントされた写真】は、物としての質感を持ち、この世に存在する。
そもそもカメラを持っていくべきかという問いから始まり、シャッターを切るべきか、どの構図で撮影するか、被写体との関係をどう築くか、どのように編集するか、これらの選択を経て生まれた写真には、重みや価値がある。
趣味での写真に、プリントするかどうかの選択が、質に大きく関わるわけではないが、プリントするためには必ず取捨選択があり、その選ばれた写真には思い入れが込められていると思う。
そんな写真を並べて、一人で悦に浸る時間。親しい人に見せる時間。思い出を共有する時間が人生の中でたまらない時間だったりする。
衰えていく脳に何度でも焼き付けることができるプリント写真。その時の自分がベストだと思ったものを出力したプリント写真。そんな写真への偏愛を自分の中では大切にしたい。