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ザキヤマ、「暗いセンス系芸人」だった彼が現在のキャラクターを開花するまでの軌跡

2024年1月14日放送の『有吉クイズ』の中で、アンタッチャブル・山崎弘也がブレイク前の時代について語っていた。山崎はくりぃむしちゅー・有田哲平の運転手として有田の仕事現場まで行っていたのだという。

当時、「運転手をやって欲しい」とは明確に依頼はされていなかったのだが、「常に一緒にいる」という共通の認識があり、有田が仕事場へ行く時についていくと、必然的に後輩の山崎が「運転することになる」ということだったのだという。

山崎は仕事もなく、現場でも常に一緒にいたため、マネージャーに間違えられることもあり、「有田さんのスケジュール、空いてますか?」と質問されることもあったのだと山崎は語っていた。

後に、M-1グランプリ2003でアンタッチャブルが3位になり、一気に知名度が上がってその状況は変わったのだが、そこに至るまでのこの有田との「師弟関係」が山崎を覚醒させていった。

「キャラ変」のきっかけ

現在でこそ山崎は「テキトー」な発言が多く、底抜けに明るいキャラクターであるが、デビュー当時は寡黙なセンス系芸人であったのだという。

その当時をする、かつて同期の芸人だった放送作家のオークラは、「昔、いわゆる板倉や岩井君みたいな。ああいう、ほとんど喋らずに、なにか来たらスッと喋るみたいな」キャラクターであったと語っている(*1)。

その山崎のキャラクターが一変したのが、「千歳烏山軍団」と呼ばれる芸人集団との出会いである。その中に、有田もいて親交を深めていくのだが、初日から「ザキヤマが夜の7時ぐらいから朝の6時ぐらいまで、延々、無茶振りされて」いる状態だったのだという。

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