松本人志の活動休止並みにテレビ界へ大きな影響を及ぼした「ビートたけしのフライデー襲撃事件」
松本人志の性加害報道に伴う活動休止で、ダウンタウン、そして松本単独でのレギュラー番組を支えるスタッフも大あらわな状態であるのは間違いないようだ。
14日放送のAbemaTVの番組『ABEMA的ニュースショー』の中で、千原ジュニアは、「最後、挨拶しに行こうと思ったら、浜田さんの楽屋の前に関係者がズラーッと行列…山手通りのラーメン二郎くらい」と語っていたことからも、松本の活動休止をどのように凌ごうとしているのか、関係者は頭を抱えていることをうかがい知ることができる。
こうした数多くのレギュラー番組を抱える中、タレントの不祥事によって番組スタッフが多大なる影響を受ける状況が以前にもあった。それは、「ビートたけしのフライデー襲撃事件」である。
フライデー襲撃事件とは
フライデー襲撃事件は、1986年12月9日に起こった。事の発端としては、襲撃前日、フライデーの契約記者がビートたけしの交際相手の女性にしつこく取材を行い、立ち去ろうとした女性にテープレコーダーを顔に突きつけたり、手を掴んで引っ張るするなどして怪我を負わせたことだった。
この事実を知ったビートたけしは激怒し、たけし軍団を招集した上で講談社本社のフライデー編集部へと押しかけ、乱闘へと発展した。結果、ビートたけしは傷害罪で逮捕・起訴されることとなった。
このフライデー襲撃事件については、釈放後や復帰後の記者会見がYouTube上にアップロードされており、ナインティナイン・岡村隆史や、加藤浩次らがその会見について語っている。岡村は復帰会見について、
「復帰会見。ラジオ終わった後に、昔の有楽町のニッポン放送、銀河スタジオの前で、報道陣を集めて、腕組んで、復帰会見しはるんですよ。それ見てて、カッコええなぁって思って」
「フライデー事件の後に。フライデー事件の後、復帰しはったのが、ラジオからか…いや、ビッグ3か(注釈:1987年、フジテレビ系の番組『FNS夢列島』にて、タモリ、明石家さんまとのトーク企画という形で、約7ヶ月ぶりに生放送でテレビに復帰した)。そこで、厳しい質問が飛ぶんですけども、それも微動だにせず答えていくっていう」
と発言している(*1)。また、加藤浩次は釈放後の会見について、
「記者にさ、『たけしさん、なんで軍団さん連れてったんですか?』って言われたの。そしたらたけしさんが『怖かったんだよ(正確には、おっかなかった、と発言している)』って」
「あそこ、怖かったって言うの格好良くない?…正直に自分が怖かったから連れてったんだっていうのを言えるっていう。虚勢を一切張ってない格好良さ。あれたまに俺、見るんだよ。酒飲みながら(笑)」
と語っていた(*2)。
フライデー襲撃事件によるレギュラー番組への影響
フライデー襲撃事件から約6ヶ月の間、ビートたけしは謹慎期間に入る。ビートたけし自身は、「一発殴って終わりにして、編集部員も含めてみんなで飲みに行くつもりだった」というつもりだったが、社会的に大きな事件として取り扱われてしまったわけである。
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