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オードリー、惨敗し続けた『爆笑オンエアバトル』でオンエアを勝ち取るまでの果てしない道のり

オードリーがNHKの番組『爆笑オンエアバトル』に初出場したのは、2002年3月2日だった。若林正恭自身、何度となくネタにしているが、10組中の最下位で、まさに「惨敗」の苦い記憶として刻まれているようである。

『爆笑オンエアバトル』では、審査員はそれぞれ10個のゴルフボールを持っており、好きな芸人に投票する。レールに乗ったボールが金属製のバケツの中へと運ばれ、バケツ込みの重量により、芸人同士は競い合う。

漫才を披露した後の当時の様子を振り返り、若林は次のように語っている(*1)。

「玉3個」の衝撃


「オンエアバトルってあったじゃん。あれで玉3個だったことがあって。あれはヒドかったね。しかもなんかね、ちゃんとオンバト用に対策したネタで。分かりやすい、ちゃんとコントに入るやつで、玉3個」

「ビックリした。本当、なんか…みんなネタ終わって『お願いしまーす』って、玉を転がしてくれって、一応フレッシュにやるのよ。それもやったのよ。『お願いしまーす」とか言ったら、ピタッと止まって、手が動かないからさ、ボールを転がす」

「なんか俺たち、間違えてんのかな、みたいに思ったよね。ただ転がさないだけなんだけど。そしたら本当に可哀想だからっていう人がなんか、恐る恐る玉転がして。その3つがさ、ゴロゴロゴロ…ってずっと転がる音がして、バケツに3つっていうのがもう分かんの(笑)コンコンコンって、3つ

会場の審査員100人、一人10個のゴルフボールがある中でたった3つ。しかも『爆笑オンエアバトル』の観客に向けて調整したネタでそのような惨憺たる結果となり、そのショックは大きかったようである。

ズレ漫才の誕生

2022年11月、2回目の出場でも同じく惨敗しており、1回目の113キロバトルからほぼ変わらず117キロバトルであった。だが、オードリーはそれからも『爆笑オンエアバトル』に挑戦を続け、2005~7年と毎年出場している。

なお、若林が「ズレ漫才」を生み出し、漫才の形にしたのは2005年10月である(*2)。

「(『土』『種』『茎』『花』とタイトルが付けられたネタ帳の)『茎』が2005年10月くらいなのよね。2005年10月に初めてズレ漫才をやってるんですよ。これ、ハッキリしたね」

「2005年10月に、1発目のズレ漫才をやって、2006年の5月にデートのネタを作ってるんですって。それが『茎』でした。『花』で、『ぐるナイ』出てました」

では、ズレ漫才が誕生した以降の『爆笑オンエアバトル』での戦績はどうであったかと言うと、2006年11月24日では357キロバトルで7位、2007年10月には、333キロバトルで6位にまでつけ、オンエアまであと一歩のところに肉薄している。

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