世界史のセンター試験に出題される厄介な日本史① 後漢と日本


世界史の試験の中に日本史の内容がたまにでます。
センター試験でも過去出ていますし、私大でもたまにでます。

「歴史総合」という科目ができるので、世界史と限定しないような日本との関係を聞いてくるような問題は今後も増えてきます。


現段階での世界史の中に出てくる日本史は
中学受験や高校受験を真面目にやってきた進学校の方たちは
まあ常識の範囲内なのでそんなに問題はないのですが、
世界史だけに力をかけてきた生徒にとっては案外やっかいです。


じゃあ何を基準にどこまで出るのか。
これは過去の問題から見てもだいたい教科書レベルにとどまっています。

※センター試験過去問より
 12世紀に起こったことを選べ → 日本では鎌倉幕府が開かれた
  このレベルです。


前半では、日本は中国大陸・朝鮮半島との交流しか出ません。
山川の教科書に載っている分をピックアップしながら
その中で、間違いやすいポイントも押さえながら解説します。


まず1つ目

後漢時代。
教科書にはこうあります。

:東アジア内部の周辺地域と交流も盛んになり、その首長に国王などの称号を与えて皇帝中心の秩序の中に位置づけることがおこなわれるようになった。倭人(日本人)の使者が光武帝から「漢委奴国王」の金印をうけていることは、1つの例である。

後漢時代の光武帝と日本の「倭」と交流があったことが出てきます。
そして金印を授かっています。

ここでよく間違えるのが、後漢時代の光武帝と交流があったことを
邪馬台国の卑弥呼 や 邪馬台国 と交流があったという風な誤文にすることです。

何となく邪馬台国が日本の古代っていうのは知ってはいる学生は多いのですが、
世界史しかやっていないとそれがどれほど前なのかわかっていない人が多いのです

なんとな~く めっちゃ前 だから そうなのかなって勘違いするのです。
邪馬台国は後でも書きますが、
3世紀に卑弥呼の使いが三国の魏に朝貢し「親魏倭王」の称号をあたえられるので、
これと混同しないようにしましょう。

後漢の光武帝に金印をもらったのは、「奴国の王」です。


まずここをおさえておきましょう。

※教科書には載っていませんが、「後漢書東夷伝」にてその様子が記されています。
※さらに教科書には載っていないレベルなのでセンター試験では出ないとは思いますが、
「漢書地理誌」と「後漢書東夷伝」とも区別しておきましょう。

「漢書」→前漢
「後漢書」→後漢
ですので、後漢→光武帝→奴国へ金印 とつなげてください。


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