ゼロからはじめる世界史のまとめ⑩ 紀元前後~200年の世界
国のサイズが巨大化する時代③
(⇒詳しくはウェブサイト「世界史のまとめ」へ)
―この時代にはユーラシア大陸では「西の横綱」ローマと「東の横綱」中国が、それぞれ巨大な国の代表格となっている(この時代のまとめ地図)。
ユーラシア大陸では各地をつなぐ陸と海の貿易もますます盛んになっている。
南北アメリカ大陸ではどうですか?
―単純に進み具合が「速い」とか「遅い」とか決めることはできないけど、ユーラシア大陸に比べるとスローペースだよね。鉄、馬、戦車がないことが一番の理由だろう。
南北アメリカは南北(タテ)方向に長いから、長い距離を移動するとなると気候の変化が大きく大変だし、ユーラシア大陸に比べると季節風もあまり使えない。
一方、ユーラシア大陸では貿易ビジネスで利益をあげる国が、陸でも海域でも現れる。もちろんアメリカでも貿易は行われているけど、規模が違うね。
ユーラシア大陸の巨大な国では支配システムを整備して繁栄を迎えるけど、しだいに問題点も見えてくる。
ローマにしろ中国にしろ、「拡大することが繁栄につながった」面があるけど、拡大には限界があるから、そこで行き詰まってしまうというわけだ。
社会が安定すると人口も増えそうですね。
―うん。
でもたとえ人口が増えたとしても、食料の生産にはスピードに限界がある。
これは一般論だけど、ふつう食料の生産スピードは、人口の増加スピードに追いつかないんだ。だからどこかで結局無理が生じるわけだ。スピードに追いつこうとすれば開発のしすぎで環境破壊になるしね。
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◆紀元前後~200年のアメリカ
―この時期には北アメリカのメキシコに大都市が出現。王様はトウモロコシの農耕や貿易ルートを支配し、巨大なピラミッドを建てて「すごさ」をアピールしていた。
南アメリカはどうですか?
―アンデス山脈の方面で、神殿を中心に広い範囲を越えて支配する指導者が現れるよ。現在のペルーというところでは巨大な「地上絵」を大地に描いて雨乞いの儀式を行う人々もいた。
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◆紀元前後~200年のオセアニア
―南太平洋の気候に適応したポリネシア人たちは、少しずつ東(北を上にして右方向)に移動をすすめているよ。
オーストラリアの先住民は外界との連絡なしに、狩りや採集で生活を送っている。
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◆紀元前後~200年の中央ユーラシア
―中央ユーラシアの遊牧民は、西のほうではアラン人というグループ、東のほうでは匈奴(きょうど)に代わって鮮卑(せんぴ)というグループが勢力をキープしているよ。彼らの髪型は特徴的な辮髪(べんぱつ)だ。
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◆紀元前後~200年のアジア
◇日本
日本では小さな国同士が争う戦争の時代となっています。「自分のほうが偉いんだ!」とアピールするために、中国の皇帝を“親分”として頼る国も登場。
この国が中国に送った使いは、日本に関する史上最古の記録となりました(日本には文字がなかったので、中国の記録に頼るしかにないのです)。
◇中国
中国では一時期皇帝が倒されてしまいますが、短期間で復活!
でも皇帝の力はとても低く、地方の有力者が高いステータスを求めて上京し、豪遊する状態となっていた。
自由に役人を選べないので彼らを止められない皇帝はめげずに改革に専念し、儒教によって国をまとめようとしたんだ。
中国では儒教が唯一の「オフィシャル」な考え方だったんですか?
―どちらかというと儒教は、国のために働く役人が守るべきものという意味合いが強いよ。
普通の人たちはご先祖や仙人(せんにん)などにご利益(りやく)を求めてお祈りをしていたし、この時代にはインドからはるばる仏教も伝わるよ。
仏教はインドからどうやって伝わったんですか?
―当時の中国は西の砂漠地帯を支配下におさめていたから、インドから北まわりでオアシスの国々を通りながら伝わったと考えられているよ。
お経はまだ漢字に翻訳されていなかったから、よっぽど勉強しないと意味はわからなかったけど、しだいに広まりをみせていくよ。
海を渡る交流もさかんで、この時代の中国の南の方(ベトナム)にはローマ帝国の皇帝の使者を名乗る船もたどり着いている。
中国の繁栄は長続きしたのでしょうか?
―毎度毎度だけど、そういうわけにもいかないよ。
皇帝を「操り人形」のように思い通りに利用しようとする人たちが現れるんだ。
皇帝のおそばにつかえた家来(皇帝の関係者との男女関係が生まれないよう、大事なところを取った男の人が多かった)や皇帝のを立て…ということが繰り返されるようになったからもうメチャクチャ。奥さんの親戚、儒教の学者、それに地方から出世した豪族らが、「自分のこと」ばかり考えて、文句を言わない少年皇帝を“お飾り”として立て、気に入らなければ今度は“赤ちゃん皇帝”を立て…ということが繰り返されるようになったからもうメチャクチャ(⇒あまりにも短命すぎた後漢の皇帝たち14選「はじめての三国志」)。
おまじないで農民を救おうとした宗教グループが大反乱を起こすと、皇帝はこれを鎮圧することすらできない。
各地で有力者たちが自分たちの土地を守ろうと一斉に立ち上がり、巨大国家は分裂に向かうこととなるのだ。
◇朝鮮
朝鮮には中国の支配が及んでいたが、この時代に地元のグループが成長していく。
まず、朝鮮の北のほうでは狩りを得意とする民族が国を建てているね。
そして、朝鮮の南のほうでは、東岸と西岸にたくさんの小さな国が建てられ、日本列島の国々ともさかんに貿易がおこなわれている。
あたりまえですが、この時代には現在の「国境」なんて関係ないんだね。
◇紀元前後~200年のアジア 東南アジア
―季節風を利用した貿易の利益をコントロールした支配者が、あちこちで国をつくっているよ。
◇紀元前後~200年のアジア 南アジア
―南アジアでは遊牧民がインドに進出して国をつくっている。この時期には新しい種類の仏教が誕生する。
◇紀元前後~200年のアジア 西アジア
―西アジアでは遊牧民が定住民の世界にまで支配を広げ、西(北を上にして左)のローマと領土争いをしているよ。
また、この時代にはローマ支配下のパレスチナというところでキリスト教が生まれているね。
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◆紀元前後~200年のアフリカ
―エジプトはローマの支配下に入っていて、南のほうのエチオピアにあった国は季節風の貿易ビジネスで稼いでいる。
バントゥー系の人たち(いわゆる黒人)はしだいにアフリカの東や南のほうに拡大しているよ。
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◆紀元前後~200年のヨーロッパ
―ヨーロッパの地中海沿岸では、ローマという大きな国が広い範囲を支配しているよ。
ローマの文化は“先輩”のギリシャを受け継ぎ、文系・理系・芸術にいたるまで多岐にわたって発展し、その後のヨーロッパにおける「教科書的文化」となっていく。
宗教はどんな感じですか?
―ローマではさまざまな神様が大切にされ、皇帝も神様の一人とされていたよ。
一方で、「この世界をつくった神様はひとつ」とするユダヤ教という宗教も、ローマの国内では信じることが認められていた。ユダヤ教の人たちはローマの神々の儀式には参加しなかったけど、伝統的な宗教ということで一応みとめられていた
でも、ユダヤ教の中にはこんな意見を出した人がいた。
「ローマ人だって神様がつくった人間なんだから、神様はすべての人間のことを大切に考えているはずだ。そのことに気付くべきなんじゃないかな」
支配者のローマ人だって、同じ人間だ。敵味方関係なく愛し合おう。
この考え方はローマからも、ユダヤ教の多数派からも「ヤバい考え」としてにらまれた。
結局この考えを広めようとした人は十字架にかけられ、亡くなってしまったらしい。
でもその死後、「あの先生の言っていたことは、正しかったんじゃないか。見殺しにしてしまった僕たちが、こんどはこの考えを広めるべきだ」と弟子たちが各地に出向いて活動するようになった。
そのうちに、彼らの考えはユダヤ教とは別の考え方に発展していったんだ。
それが「キリスト教」ですね?
―その通り。
でもローマでは次第に皇帝から目をつけられるようになり、大きな弾圧事件も起きた。
それにもめげずに、キリスト教のグループはローマ中に勢力を広げていくよ。
で、ローマはどのくらい強い国だったんですか?
―広さでいうと最大時には日本の10倍以上の面積にまで広がった。
「ローマのおかげで戦争もなく平和な世の中になった」と、讃えられたほどだ。
でも、広くなればなるほど維持費はかかるし、平和になったらなったで大事な労働力である奴隷も得られなくなる。戦争で負けた敵が奴隷になることが多かったからだ。
そのあたりが次の時代には大きな課題となってのしかかってくることになるよ。
このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊