見出し画像

1.1.1.オリエント 世界史の教科書を最初から最後まで

参考

第1章 オリエントと地中海世界

オリエントってのは、太陽がのぼるところって意味だ。つまり「」だね。
どこから見たときの「東」かというと、ヨーロッパの人たちからみた「東」なんだ。現在では「オリエント」という地域の呼び方はしないけれど、「中東」や「中近東」「近東」という呼び方に、名残が残っているね。

中東は英語でいうと「ミドル・イースト」。中くらいの距離にある東の地域っていうことだ。

気候的にはどういうところかっていうと、秋から冬にかけては雨がちょっと降るんだけど、それ以外はほとんど雨が降らない場所だ。しかも暑い!


そんなところに木なんて生えない。見渡す限り草が生えていない砂漠や岩山、それにパラパラと草の生えた草原がひろがっているところがほとんどだ。

けれども昔からずーっと木が生えていたわけじゃない。今から14000年ほど昔の地球は、長きにわたる氷期を終え、温暖な気候に移り変わっていた。
その頃のメソポタミアには雪解け水が2つの大河(ティグリス川ユーフラテス川)となって流れ込み、さまざまな種類の動植物が生息するようになっていったんだ。

このへんの事情については、

そんなところじゃ農業なんてできないでしょ。だから、羊やラクダを飼って暮らすしかない。
乾燥しているから移動生活するしかない。遊牧っていうライフスタイルだ。

どこでも農業ができないってわけじゃなくてね、
海の近くや川の近く、それに砂漠に湧き出るオアシスでは農業ができる。



小麦、大麦なんていう、今じゃ世界のどこでも食べられている植物のご先祖が
たまたま生えていたのもこのオリエントだ。
豆、オリーブ、ナツメヤシ(甘い実をつけるヤシ)も、
こういうところで育てることができる。


一部の人は「もっと食べ物が欲しい」ということで、
ティグリス川
ユーフラテス川
ナイル川
といった、定期的に増水が起きる大きな川の近くで農業をしようとした。
水がたくさんあれば農業ができるからね。
定期的に増水が起きる川なら、ある程度災害がいつ起こるかも予測できるでしょ。

でも、川から水を引っ張っておこなう農業(灌漑(かんがい)農業)には、
人手もいる。
その代わり、収穫(リターン)は大きい。
人がたくさん集まって定住するようになると、
自然の中で暮らしていた頃とは違った人間の「文明」が発達してくことになるよ。




前3000年頃から、この地域の人間は「都市」という人工的な空間をつくって
そこて暮らすようになっていた。
あまりに魅力的なものだから、過酷なアラビア半島やまわりの高原地帯から、「セム語系」という言葉の特徴をもつ人たちや、インド=ヨーロッパ語系をもつ人たちがなだれこんできた。
こういう人たちは遊牧のライフスタイルをおくっていた人たちで、
定住民よりも家畜を使いこなすのが得意で、
戦いも強かった。



一方、エジプトにもナイル川という大きな川があるよね。




一時期、外から別の民族がやってきて征服されたこともあったけれど、メソポタミアとは違って砂漠と海にまわりをかこまれているから、
安定的にエジプト語系の人たちが文明を発達させていったんだよ。
出入りの多いメソポタミアとは対照的だね。

メソポタミアとエジプトをつなぐ「通路」にあたる部分は、やっぱり農業にとっても向いているところで、小麦やオリーブがたくさんつくられた。
ここはシリアとか、パレスチナと呼ばれるエリアだ。

羊やヤギのご先祖も、この地域のあたりにたまたま分布していた。



たしかに豊かなんだけれども土地が狭いのと、人の行き来が激しいので、
商業を専門とする民族が活躍した。
ちなみにメソポタミアから、シリア、パレスチナを結ぶエリアのことを、
肥沃(ひよく)な三日月地帯」ともいう。

このようなオリエントという地方のうち、大きな川のまわりで農業を営むところでは、


かなり早い時期から「神様のパワー」をつかって人々をまとめようとするリーダーがあらわれた。


堤防や水路の工事には人手がいる。
こうした工事をまとめる指導者のパワーは、かなり強かったとみられる。
現代からみてみると、当時の人たちの信じていた世界観や王様の姿には、
独特なところが多いよ。



で、そもそもなんだけれど、「どうしてオリエントから世界史をはじめるの?」って思わなかった?

べつに中国から始めたって、どこから始めたってかまわないはずなんだけどね。

たしかにオリエントでは農業と牧畜がかなり古い時代から始まったし、
立派な都市ができたのもかなり早い。

だけど、根本的な理由は別のところにある。


それはね、
「世界史」というストーリーを作り出した人たちが、
ヨーロッパ人だったからなんだ。

かつてアダムとイブっていう人類のご先祖が登場する『聖書』の舞台でもあるからね。

だから、

オリエントというのは、世界で一番昔に「立派な文明」を築き上げた

っていうふうに特別扱いしたわけ。

でも、さらに次のように考える。


オリエントの文明はたしかにすごかった。


でも、なにかしら「欠陥」があった。


だから、
その後、


「さらに立派な文明」の中心地はヨーロッパに移っていく。


そんな「ストーリー」だ。



たしかに日本で語られる「世界史」は、
世界のいろんな地域をできる限り平等に扱うことが多い。


▼日本初の「世界史」の教科書(1949年)では、
「自然に文明の起こった地域」として、オリエント(エジプト、メソポタミア、フェニキア人とヘブライ人)、中国、インド、アメリカの6つを挙げ、できる限り平等に比べようとしていた。



でも、ヨーロッパを中心としてみる「ストーリー」の影響は、
いろんな面でまだまだ残っている。

でも、本当にそういう「ストーリー」でいいのかどうか、
これから勉強をしていくなかで
考えていくことにしようね。


続く

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊