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8.4.1 主権国家と主権国家体制 世界史の教科書を最初から最後まで

近世」(いっぱんに16世紀〜17世紀中頃までの150年ほどの期間)のヨーロッパでは、国と国との戦争が多発。

中世」の時代には、ローマ=カトリック教会や神聖ローマ皇帝のような「ひとつの国のスケール」を超える存在(民族・国をこえて誰にでも及ぼす権力・権威)が求められていたのに対し、「近世」の時代には、代わって諸国の君主が「自分の国のこと」のみを考えて戦争や妥協をくりかえす時代となる。


ただ、君主が考えるのは、「国にとってのプラスマイナス」ではなく、たいていは「その王家にとってのプラスマイナス」だ。
国はあくまで君主の王家の持ち物であって、「国のことを決める力(主権)」は国民ではなく君主にあった。

だから、一人の君主が複数の国を支配下に置くことも珍しくない。


ある地方をめぐり相続争いなどが勃発し、それが元で長期的で大規模な戦争が勃発することもしばしば。

戦争がひどくなっていった背景には、軍事テクノロジーの劇的なイノベーション(軍事革命があった。


小銃と大砲を組み合わせた新しいタイプの戦争により、各国は軍隊を平和なときにも維持するようになったのだ。
ただ、現代のように「国を守るのは、その国の国民」という考えは常識とはなっていない。
兵士として集められるのは、給与をもらって一定期間雇われる「傭兵(ようへい)」が主流だったんだ。

戦争が長期化し、武器が高価となり、傭兵も雇わなきゃならないとなれば、そりゃお金もかかる。


そこで各国の君主は税金をちゃんととる国内の整備を整えるために、中央集権的な役人の仕組みを整えていく。
理想は「国内の統一的支配」だ。
ハッキリとした国境を地図上に描き、国内の秩序を維持強化。そして外に対しては、「この国のことを決めることができる人間(主権者)は“わたしだけ”だ」と主張するようになる。

このような国家を政治学の世界では、「主権国家」というよ。


ただ、理想は理想。

国内の統一を進めようとしても、由緒正しい貴族たちや、「中世」の時代の身分や職業・宗教などによるグループ(中間団体)は国内に多数のこされている。



各国の君主たちは、順番にこうした“抵抗勢力”から特権をとりあげながら統一的支配を進めようとするけど、なかなかうまくいかないことも多かった。


そこで国王は代わりに、商人や金融業者といった事業を展開して資本(事業のための資本をたくわえた人々)を蓄えた商人や金融業者をひいきすることで、対抗しようとした。
彼らのことを、教科書的には「有産市民層」というよ。
事業をおこすための元手(資本)を持っている、都市に住む人々のことで、フランス語ではブルジョワジーともいう。

ブルジョワジーたちは、利益の追求が目的だ。
効率的なやりかたを重視するので、人手を確保するのも「仕事があるときは雇い、なくなればクビにする」のが当たり前。
人手がいないところでは、その人手の値段は上がり、人手の余るところでは値段は下がる。まるで、人間が働く力そのものが、商品と同じように売り買いされるようになっていくんだ。
売り買いされる側は、ただひたすらに働くしかない。
働かせる側は、とにかく「もうけ」を出来る限り増やすことだけを考えるからね。

このようなタイプの人手のことを、経済学的には「賃労働者」(ちんろうどうしゃ)という。

人手を雇うための資金、働かせるための土地と道具など、利益を生むための元手(資本)を持っている人のことを「資本家」という。

また、もし自分の資本だけで足りなければ、資金を調達する必要があるね(その分は負債となる)。

この時代には、現代では当たり前になっている「株式会社」の制度など、資金調達の仕組みも発達していった。

初期の頃は、商業によって富を得た商人や大土地の経営に成功した大地主が「資本家」であることが多かったよ。

賃労働者」(不自由な奴隷でも農奴でもない)を雇って、市場(しじょう。“誰か”のためにオーダーメイドで作るわけではなく、不特定多数の買い手がターゲット)向けの生産を分業で行い、ライバルと競争しながら、利益を追求。
そうやって資産を増やしていくのが、彼らのやり方だ。


「中世」の時代は、そうじゃなかったよね。

親方」は「職人徒弟」を弟子入りさせ、商人から頼まれた製品を一つひとつ手作りし、自由な競争を避けてギルド(組合)に加盟する同業者の共存共栄をめざすものだった。

しかし、商品を「親方」に受注していた商人は、そのようなビジネスモデルを一変。
ギルドのことを気にするめんどうな「親方」への受注はやめ、手の空いている手工業者たちに道具・原料を前貸しし、生産した商品に応じて給料を支払う制度をスタートした(「内職」や「ギグワーク」に近いかもしれないね)。
この制度を問屋制というよ。

また、彼ら賃労働者たちをひとつの仕事場に集め、そこで分業させ生産をおこなう方式も生まれた。
こちらは工場制手工業(マニュファクチュア)という。

どちらも、土地や道具は資本家の持ち物であり、資本家が人手を賃労働者として働かせ、市場(しじょう)向けに商品をつくる点では共通しているよね。
このような生産の方法のことを、資本主義的生産という。

当初はまだまだ規模の小さなものだったけれど、18世紀後半(今から250年ほど前)にある一連の出来事(産業革命)が起きると、その規模は一気に拡大していくことになるゆお。

なお、彼ら「(産業)資本家」(ものづくりで利益を追求する資本家)のことを「(有産)市民層(ブルジョワジー)ともいうから覚えておこう(「有産」というのは “自分の資産をもっている”という意味)。「資本家」は自由なビジネスを望むとともに、国の政治への参加を求め、やがて王権に対して批判的な声をあげる者もあらわれるようになるよ。


このように「近世」のヨーロッパでは、「中世」にはいなかった「資本家」という新たなプレーヤーが加わる中、君主が国家の統一的支配を進めようとしていったわけだ。

諸国の規模の大小、政体・宗教・経済力はさまざまだけれど、それぞれ国際社会の対等なメンバーとして、外交官を交換し合い、決裂すれば戦争、必要とあらば国際会議を開いて、相手国と協力・対抗しながら、利害を調整してきた。

この時代のヨーロッパに出現、形成され維持された国際秩序のことを「主権国家体制」という。

なんだか、国際関係が一気に現代っぽくなってきたよね。

ヨーロッパ諸国はやがて、この国際関係の仕組みとルールを全地球規模に拡大。
現代に至るその後の全世界の歴史に、大きな影響を与えることになるよ。

ちょっと固めの話だったけれど、この時代を理解する上で重要なキーワードがいくつか出てきたから、頭の片隅に置いて、具体的な様子を眺めていくことにしよう。

このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊