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【ガイダンス】世界史のまとめかた② 環境のとらえかた

 わたしたちは「世界史」をどのようにまとめることができるのでしょうか。「時間」,「環境」,「地域」の3つの観点から考えていきましょう。

〈2〉環境のとらえかた


◆世界史の舞台はどこにあるのか

 世界史の舞台は,もっとも大きなスケールで考えると,われわれの地球を擁(よう)する宇宙にありますね。

 われわれの地球は,われわれの銀河系の中の,われわれが「太陽」と呼ぶ恒星を周回する惑星です。

 地球という惑星は水と大気が豊富で,自らの情報を複製・継承することのできる生命(細菌,古細菌,真核生物(動物・菌類・植物))で満ちあふれ,複雑に絡み合った生態系(エコシステム)を形成しています。

 太陽のもたらす莫大なエネルギーは,生命の活動の源であり,水や大気の循環にも影響し,地球内部のエネルギーとともに,気候や地形に変化を与え続けています。


◆人類の生態にはどのようなパターンがあるのか

 われわれ人類も,そんな舞台で活動する動物の一種(ホモ=サピエンス)であり,生態系の一員。
 その発達した知能と情報共有能力を駆使し,各地の気候や地形に合わせ,他の生物と共生・競合しながら,みずからを環境に適応させていった点が,人類という動物の持つ大きな特徴です。


◆「定住」(動かない暮らし)と,「遊動」(動く暮らし)

 多くの動物同様,初期の人類は動物や植物を獲得することで食料を得ていました。狩猟・採集生活です。

 魚介類をつかまえることは漁労〔漁撈(ぎょろう)〕といいます。必ずしも移動生活(「遊動」)を送っていたわけではなく,豊かな猟場・森林・漁場のあるところでは「定住」も可能でした。

 一方,今から約1万年前を過ぎたころ,地球の気候が各地で変動する中で,人類は動物や植物を管理し繁殖・収穫させる技術を獲得していきます。農耕・牧畜の開始です。
 牧畜をするにはある程度の広い土地が必要ですし,狩猟・採集と組み合わせるケースもありましたから,農耕・牧畜イコール「定住」というわけではありません
 熱帯地域では焼畑(やきはた)農業といって移動を必要とする農法も導入されていました。

 このように「移動」の観点から人類の生態をみると,「定住」と「遊動」の2つのパターンの組合せが選択肢として考えられます。「動かない」と「動く」の違いというよりはむしろ,「あまり動けない」と「動かざるをえない」といったほうがいいかもしれませんね。種を一度植えてしまったらみんなで面倒をみなければいけませんし,雨が降らず家畜に与える餌がなくなれば移動せざるをえないですから。


◆「遊牧」という選択肢

 人類は各地の気候に合わせ,それぞれの生態系の一員として,狩猟・採集・漁撈や,農耕・牧畜を組み合わせた生態を営んでいきます。
 しかし,今から約3000年ほど前になると,新しいタイプの生活スタイルをとる人類が現れます。
 「遊牧」です。
 これも,生活スタイルを「とる」というよりは,「とらざるを得なかった」といったほうがよいでしょう。

【図】今から3000年ほど前には、遊牧民が武装し、ユーラシア大陸で大きな影響力を持つようになった。



 世界各地に分布する沙漠の一歩手前の気候であるステップ気候。降水量が少ないために,まばらな草原が広がるばかりで,水場でなければ定住・農耕は難しい地帯です。
 その地で家畜の群れをコントロールしながら,季節ごとに草原地帯を廻りながら生活する形態が「遊牧」です(遊んでいるわけではありません)。


◆異なる生態を営む人類どうしの「共生」と「競合」

 「遊牧」を営まざるをえない地域は,乾燥している地域のうち,あとちょっとで沙漠になりかねない草原(ステップ)地帯です。

 世界地図をみてみると,アフリカの北部や,ユーラシア大陸の沙漠の周辺部に分布していることがわかります。
 遊牧民にとって家畜(livestock)は生きている資産(stock)です。家畜が死なないように,草原と水場を求めて遊動します。

 季節によって農耕を営むケースもありますが,基本的に彼らは家畜からつくられたモノ(肉,皮,毛,乳製品など)を,別の生態を営む定住農牧エリアの人々の生み出したモノ(農産物や手工業製品など)と交換することで生活を成り立たせています。

 遊牧民は家畜にまたがって戦うことを得意とし,軍事力の面でも定住農牧民に優っていました。
 一方,経済力の面では,収穫物を蓄えることのできる定住農牧民のほうに軍配が上がります。
 両者は,互いに足りないものを補い合う「共生」関係をとることもあれば,相争う「競合」関係に入ることもあります。

 同様に,海を活動範囲とする人々(海民)の間にも,海獣の狩猟や漁撈,海産物の採集などを営んだり,沿岸や島で農耕を行ったりする者がいて,互いに足りないモノを補い合ったり,陸を活動範囲とする人々と関係を結ぶケースもみられます。
 また,森を活動範囲とする人々も,狩猟・採集で得たモノを,異なる生態を営む人々との間と交換していました。

 このように,人類はそれぞれの環境に適応し異なる生態を営むことができたからこそ,様々な「交流」が生まれ,しだいに情報や技術が地域をまたいで拡大し,各地に特色ある広域エリアが生まれていくことになるのです。

 さらに,人類の群れが,親族グループのような顔見知りの集団を超え,ある一定規模にまで達するようになると,これまた地域ごとに特色ある政治機構(国家)と,それを支える組織化された思想(宗教組織)が発達していくことになります。


◆環境は有限である

 人類は誕生以来,平均気温のアップダウンや気圧配置の変化といった気候変動や,地球内部の活動にともなう地震や噴火も,人類に計り知れない影響を与えてきました。
 また,過剰な開発により環境に対して負荷をかけすぎたために,持続することができなくなった人類集団の事例は,世界史の中に数多く見られます。
 特に1760年以降,人類は自らの活動範囲を生物圏(動植物の世界に)に対して飛躍的に拡大し,大気や海洋,土壌(石炭などの鉱産資源)といった生態系そのものに,取り返しの付かないような影響力を発揮していくようになりました。
  人類の個体数(人口)は,理論的には倍に倍に増えていく傾向がありますが,ふつう食料の確保はそれに追いつくことができません。無理やり確保しようとすれば,乱開発を生み持続可能性を失います(これを「マルサスの罠」とよびます)。

 テクノロジーの進歩により,われわれ人類は「マルサスの罠」を抜け出したように見えますが,21世紀に入った現在,棚上げにされてきた様々な問題が,じわじわと目を覚まそうとしているように思われます。

 「〈2〉環境のとらえかた」は以上です。
 人の名前や国の名前をいたずらに覚えるのが世界史ではありません。
 人類の歩んだ道のりを,生態系の一員としてとらえ,多種多様な人類の営みの相互関係に注目をすることが,世界史理解のカギを握っているのです。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊