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"2番目に多く話されている言語"に見る謎解き「世界史のまとめ」【南アメリカ編】

  2017年のgigazine.netの記事で、マックス・ハロウェイ氏による世界各地で「2番目に最も使われている言語」のインフォグラフィックが紹介されていました。世界の歴史に対する「勘所」が養える、非常にすぐれた地図であると思います。

 今回は南アメリカの注目ポイントを簡単に眺めてみましょう。

そもそもいちばん話されている言葉はなにか?

オレンジ→スペイン語
緑→ブラジル語
茶→英語
青→フランス語
紫→オランダ語

 …のようになっています。

 南アメリカを植民地化した国々で話されている言葉の影響が残っているわけです。
 ポルトガルを支配したブラジルを除く南アメリカの大部分はスペインの植民地だったので、圧倒的にスペイン語とポルトガル語が話されているわけです。

 南アメリカは16世紀以降、ヨーロッパのスペインやポルトガルによって植民地にされていきました。

 先住民はインフルエンザや天然痘などにかかって人口を減らし、スペイン人やポルトガルの祖先や、先住民との混血の方々の比率が高まっていったのです。


ただし、ブラジルで話されているポルトガル語は本国のポルトガル語とはちょっと異なりますけどね。

 後から植民地化を進めにやって来たのはイギリス、オランダ、フランスです。
 この3国はカリブ海を中心に植民地化を進めていきましたから、今でもカリブ海周辺の2つの国と1つの地域(ギアナ三国)ではイギリス語、オランダ語、フランス語が話されているわけです。

ガイアナ

スリナム

フランス領ギアナ

* * *

 では、2番めに多く話されている言葉は何か、見てみましょう。

【1】圧倒的にヨーロッパの言語が多い

 地図中の「水色」は「インド・ヨーロッパ語族」です。
 

もともと話されていた言葉(インド・ヨーロッパ祖語)は謎だけれど、復元する研究がなされてきた(動画の冒頭部分を参照



 インド・ヨーロッパ語族とは、今から約4000年前にユーラシア大陸の中央部に暮らしていた遊牧民が、インドやヨーロッパに波状に拡散していったため、現在のインドからヨーロッパにかけて分布する言葉が、同じ「言葉の親戚」に属するという仮説にもとづいた呼称です。
 この中にフランス語ポルトガル語イタリア語英語などが含まれます。


 南アメリカでもっとも話されている言葉は、スペイン語、そしてポルトガル語ですが、それぞれの地域でなぜそれ以外の言葉が話されているのでしょうか?


【2】アルゼンチンの第2言語がイタリア語なのはなぜ?

 19世紀になって「冷凍船」が発明されると、広い土地で牛を育て、肉をヨーロッパに輸出するビジネスが盛んになりました。
 しかし働き手が足りません。
 そこで、イタリアから大勢の移民が労働力としてアルゼンチンに向かったのです。

 当時のイタリアでは昔ながらの支配者が倒され、「イタリア王国」という一つの国への統一運動が盛り上がっていました。
 政治的な混乱を背景として、貧しい地域からアルゼンチンに職を求めて旅立ったのです。
 『母をたずねて三千里』という物語でイタリア人のお母さんがアルゼンチンに出稼ぎに行ってしまうのも、このことが事情です。

 その結果、アルゼンチンの都市はまるでヨーロッパのような景観が築かれていきました。


【3】ヨーロッパ系の言語ではない国々があるのはなぜ?


 エクアドル、ペルー、ボリビアではケチュア語グループが第2言語になっています。
 この地域はかつて「インカ帝国」というアンデス山脈を中心とする強力な国があったため、伝統文化が強く残ったのです。

インカ帝国で話されていたケチュア語の再現(動画の11:00~

 こういった国々では先住民の文化を「守ろう」という運動も盛んです。

インカ帝国では王は「太陽の子」として崇拝されていました(インティライミ祭)

【4】パラグアイのグアラニー語とは?

―パラグアイは内陸国で、国土の大部分には低木の広がる平原(グランチャコ)が広がっています。

 ここで狩猟採集生活を送っていたグアラニー人は、進出してきたスペイン人に対して果敢に抵抗を続けた結果、グアラニー語は今でも2番目に多い言語となっているのです。
 グアラニー語で日本でも知られているものには「ピューマ」や楽器の「ケーナ」、「コンドル」などがありますね。

 グアラニー語で有名なのは「マテ茶」ですね。いっとき日本でも流行りました。客人をマテ茶でもてなすのはグアラニー人の文化です。


【5】ベネズエラで2番目に話されているワユー語とは?

 ベネズエラからコロンビアにかけてには、かつてアラワク語族の言葉を話す人々が暮らしていました(アラワク人)。

 彼らは強い王をいただくような大きな国をつくることはありませんでしたが、カリブ海にかけて盛んに船で移動し、交易活動をおこなっていました。

 彼らがつかっていた手漕ぎの高速船のことを「カヌー」といいます。
 カヌーの語源はアラワク語なんですね。

 というわけで現在のベネズエラで2番目に話されているのは、アラワク系のワユー語なのです。


【6】ギアナ地方で2番目に話されている「クレオール」とは?

 さきほど紹介したギアナ地方(ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ)は非常に複雑な民族構成であることで知られます。
 いずれも先住民はアラワク人やカリブ人です。

(1)ガイアナ
 オランダが進出した後、1814年にイギリスが植民地としての支配を固めました。
 1815~1848年までの間に、イギリスは植民地を含めた全領土で奴隷制度を禁止したため、植民地の輸出業者たちは、代わりの労働力として契約労働者(注:年季奉公人)を人手の足りない植民地に輸送して働かせるようになりました。

 当時いちばんもうかったのは、熱帯地方ですとサトウキビのプランテーションです。
 もともとはアフリカから渡った黒人を奴隷として働かせていましたが、奴隷制度廃止後にはヨーロッパからの移民のほかに、現在のインドやパキスタン(当時はイギリスの植民地でした)から大量の移民が流れこんできたのです(⇒参照 1848年~1870年の世界史のまとめ)。

 こうしたさまざまなバックグラウンドを持つ人々が流れ込む中で、各出身地の言葉が付け加わった、シンプルにアレンジされた英語が話されるようになります。
 それが「クレオール」です。

この女性が話しているのがクレオールです。


(2)スリナム

 スリナムの場合は、オランダによって植民地化されました。

 はじめは黒人を使い、やはりサトウキビのプランテーションをさせます。
 アフリカから連れてきた人々はしばしば反乱を起こして逃亡し、ジャングルの奥地で抵抗して独立勢力を築いた歴史があります(注:マルーン)。

 その後も奴隷制は続き、19世紀の終わりになってようやく奴隷が解放されると、人手不足から中国やインドからの移民の受け入れがスタート。
 さらに、おなじくオランダが植民地化していたインドネシアから多くのインドネシア人が流れ込みました。

19世紀後半にスリナムにやって来たインド人労働者たち(https://www.tropenmuseum.nl/nl)。

 こうして現在の、スリナムでは1番目に話されているオランダ語に続き、2番目にはインド人を中心に話されていた英語が使われているのです。


(3)フランス領ギアナ

 フランス領ギアナも先の2か国と事情は似ていて、黒人やインド系、中国系などさまざまな方々がいらっしゃいます。
 フランス語だけでなく、現地の言葉とミックスされたシンプルなフランス語(クレオール)が話されています。

 

―いかがでしたでしょうか?
 その国で一番話されている言葉はよく知られていますが、2番目に話されている言葉には、その国のたどってきた歴史が色濃く反映されていることが多いのです。


)言語の分類方法や「方言」を言語とみなすかという基準によっては、「2番目に話されている言語」の判定も変わります。これについては以下を参照してください。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊