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【推し本】ジャック・ペパン『エイズの起源』

植民地の熱帯病を根絶させようという善意のもとにおこなわれた介入が、思いがけず植民地の人々の命を奪い、それどころか先進国で猛威をふるう新興感染症のルーツとなってしまう。本書ではこうした思わぬつながりに関する、忘れ去られた生々しい実例が、失われたピースをひとつひとつ探し求めるミステリーのように語られる。

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著者のペパン氏(写真)は、カナダ・ケベック州のシャーブルック大学医学部教授で、1984年よりアフリカの地で感染症の研究に取り組み、世界保健機関の熱帯病調査団を率い、1988年よりエイズの研究に転じた。

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症例統計をもとに、1920年代の西アフリカにおけるフランス植民地でおこなわれた、眠り病やマラリアなどの熱帯病検査を目的とする採血を通して、1921年前後にサル免疫不全ウイルスに感染した人の血液が、どのようにしてヒト免疫不全ウイルス(HIV)の流行の引き金となったのか、克明にたどっていく。



プランテーションや鉱山のため、急激に開発されたヨーロッパの植民都市で引き起こされたシナリオを、ペパン氏は次のように描き出す。

狩猟や料理によって一人の人間が偶然チンパンジーのサル免疫不全ウイルスに感染し、それが砒素系薬物や他の薬物によって治療された数百人の患者に広がり、やがて性的接触によって拡大するに十分な閾値を超えるという事態が起こったに違いない。(同書、203ページ)

 では、ヒト免疫不全ウイルス(正確にはHIV-1)は、なぜアフリカ大陸の外へと拡大したのだろうか。サル免疫不全ウイルスのヒトへの感染の起源の一つとみるコンゴに着目してみよう。

 コンゴの人々は、ベルギーによる植民地支配による徹底的な搾取を受けた。教育水準は極めて低く、1960年の独立達成直前に初等教育以降の教育を1年でも受けたことのある男性は1.7%、女性は0.1%にすぎなかった。

 そんななかで、新国家を建設するには、外部の指導者をよびよせるしかない。しかしコンゴは熱帯病の流行地である。免疫をもつ人々として白刃の矢がたったのが、カリブ海諸国のアフリカにルーツを持つ人々だった。国連の専門家としてハイチ人エリートが雇用され、1961年のピーク時には、国連コンゴ活動使節団は2万人強を数えた(同書、265〜268ページ)。

 ハイチとコンゴのコネクションは、1980年代前半に、アメリカで”未知の感染症”が「エイズ」として報告された際、強力なスティグマとみなされることになる。

 ハイチ人の行為がアメリカにエイズを持ち込ませたのであろう、と。


1981年から82年にかけて、米国でエイズに関する最初の報告が現れたとき、イチ人はヘロイン使用者、同性愛者(モセクシャル)、血友病患者(モフィリアクス)に続く第四の「H」として、すぐにリスク集団に認定された。(同書、269ページ)


 薬物使用者=同性愛者=血友病患者=ハイチ人は、いずれも社会におけるマージナル(周縁的)な存在、つまり「とりのこされた人々」として、見えない場所に追いやられ、蓋をされていったのだ。
 見えない存在にされた人々が、病気の治療から排除される。そのことによって実際に感染率が上昇していく(ポール・ファーマーのいう構造的暴力である)。


 まるでパズルを組立てるようにエイズの起源をたどる著者の手付きがスリリングであればあるほど、どうしても陰鬱な心持ちにならざるをえない。


このたびはお読みくださり、どうもありがとうございます😊