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”国際系” note まとめ

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#歴史

MDGsは、SDGsと本当はどういう関係にあるのか? 【SDGsとは一体、何だったのか?】第3回・前編

 前回は「持続可能な開発」概念がどのような経緯で生まれたのかという問いに対して、その背景に途上国と先進国の対立や、その後の新興国の台頭といった国際社会の激変が関わっていたことを確認した。  今回は2つ目の問いである「MDGsは、SDGsと本当はどのような関係にあるのか?」について、考えていきたい。 MDGsとは何か  MDGs(エムディージーズ)とは「ミレニアム開発目標」の略称で、ミレニアム総会で採択されたミレニアム宣言と 1990 年代に連続して開催された会議での国際的

【SDGsとは一体、何だったのか?】第2回「持続可能な開発」概念のルーツはどこにある?

*** 【連載第2回】「持続可能な開発」概念のルーツはどこにある? 1SDGsから何を連想する?  みなさんは「SDGs」と聞いて、どんなことを思い浮かべるだろうか?  ある人はSDGsとは「エコ」のことだと考えるかもしれない。レジ袋削減や気候変動対策が、生活と大きな関わりがあることも大きいだろう。  またある人は差別をはじめとする社会問題の解決や「多様性」のことを、またある人は、まちづくりや地域おこしのことがSDGsなのだとイメージするかもしれない。世界の貧しい人を

SDGsとは一体、何だったのか?【世界史でよむSDGs】はじめに

いまや日本のSDGsは、空虚な「記号」である  2015年に採択されたSDGs(国連持続可能な開発目標)は、スタートしてから早9年目を迎えようとしている。  SDGsの実施年限は2030年だから、まだあと6年ちょっと、残されていることになる。  にもかかわらず「SDGsとは一体、何だったのか?」などと問うのは、ちょっと時期尚早ではないかと思われるかもしれない。  最初に筆者の立場を明確にしておけば、日本におけるSDGsはすくなくとも本来の趣旨に沿った受容には失敗している

【ニッポンの世界史】#33 地政学化する世界史:キッシンジャー・『悪の論理』・高坂正堯

2010年代の世界史ブーム  連載の第1回で、2010年代以降の世界史の一般書のトレンドに、(1)データベースとしての世界史、(2)文理融合的な世界史、そして(3)世界史のなかの日本史があると書きましたね。  この連載をお読みの方ならば、「おすすめの世界史の本」ということで手にしたことがある人も少なくないのではないかと思いますが、ここでのわたしたちの目的は、これらの書籍の内容をレビューすることにあるのではありません。  2010年代以降の一般向け「世界史ブーム」という状況が

湖畔篆刻閑話 #1「中国での書の復権」和田廣幸

ヘッダー画像:無為 2019年 道路曰遠侍前曰希秋風曰起吾志曰悲  四半世紀に及ぶ北京での生活に終止符を打ち、日本の琵琶湖畔のこの地に移って来て、早いもので既に5年が経とうとしています。 「有山有水」(yǒu shān yǒu shuǐ:山あり水あり)のこの地は、中国の首都・北京での「生き馬の目を抜く」ような日々の生活とは打って変わり、穏やかな自然にすっぽりと抱かれた、まさに陶淵明の「帰去来辞」さながらの生活といえるでしょう。  篆刻の聖地ともいえる「西泠印社」は、昨年建

【2024年版】世界史教科書 消えた用語、増えた用語:山川出版社・帝国書院の比較編

この記事の要約この記事は長い(約40000字)のではじめに要約を書いておきます。 以前、山川出版社の新しい世界史教科書の用語がどのように変化したのか記事を書いたことがあった。しかし、必ずしも単純に「増えた」「減った」と言えないのではないかという事実がみえてきた。 そこで今回は帝国書院の世界史探究教科書の収録語と、山川の収録語を比較することで、山川が収録しなかった用語とは何かをあぶり出してみることとした。 これによって、世界史の教科書にも多様な編集方針があり、その背後には

【ニッポンの世界史】#31 学習参考書と世界史:なぜ世界史は「暗記地獄」化したのか?

 これまで私たちは、「ニッポンの世界史」は、アカデミズムや学習指導要領のような“公式”世界史と、それらと対抗関係にある“非公式” 世界史の綱引きによって形成されてきた経緯をみてきました。  “公式”の語りを、“非公式”の語りが突き崩すといっても、両者の間に厚い壁があったわけではありません。  ときに、ひとりの書き手が、両者を行ったり来たりすることもみられました。  歴史学者の土井正興(1924〜1993)がそれにあたります。 土井正興: スパルタクスの研究者から教科書執

【ニッポンの世界史】#30 文化圏の罠:世界史に「アフリカ」は入っているか?

周縁の不在  1970年代の社会科教育に関する雑誌をみてみると、「好きな国」を聞くアンケートをとってみたり、何も見ずに地図を書かせてみたりして、「生徒たちの関心がヨーロッパにばかり向いている」という嘆き節が、よく掲載されています。  この地図くらい描ければ十分とも思えるのですが、たとえば職業系の高校において同じようなことをやらせてみても、全然描けない。  世界史の授業中に顔をあげさせるだけでも難しい。  そういった嘆きも聞かれるようになります。  国外に眼を向ければ、世界

【ニッポンの世界史】#29 「長い目」で世界史を見る:成長の限界・ノストラダムス・小松左京

終末論から生み出された新しい「世界史」観  「ニッポンの世界史」には、その時代の日本人のものの考え方や精神性のようなものが反映されているのではないか。  そのような観点に立ち、今あらためて1970年代をふりかえってみると、これまでみられなかった新しい種類の想像力が立ち上がり、それが日本人の歴史に対する考え方を変え、「世界史」の再定義に向かっていったのではないか、と思うのです。  まあ、1970年代のサブカルチャーや社会の変化については、すでにひととおり多くの人によって語り尽

【ニッポンの世界史】#28 それぞれの「近代」批判:吉本隆明・阿部謹也・謝世輝

謝世輝のヨーロッパ中心主義批判  さて、今回は謝の世界史構想の全容に迫っていきます。  謝の構想を一言でいえば、「これまでの世界史はヨーロッパ中心主義的で、まちがっている」ということに尽きます。  たとえば、1974年の時点では次のように主張しています(謝世輝「世界史の構築のために」『歴史教育研究』57、1974、70-71頁)。  箇条書きににしながら、その特徴をあぶりだしてゆくことにします。 1.世界史にとって重要なのはアジア(東洋)だ  文明圏(文化圏)にわけて

【ニッポンの世界史】#26 テクノロジーと精神文化:マクニールの世界史は、何が新しかったのか?

世界は3つの文化圏でできている?  さて、ここで視点をいったん”公式”世界史の動向に戻しましょう。  1970年度の学習指導要領改訂では、前近代には三大文化圏(ヨーロッパ、イスラム、中国)に分けて学習していく文化圏学習が導入されたのでしたね。  しかしこの分け方に対しては当時から批判もありました。 ・ヨーロッパは多数派を占めた宗教の名前から「キリスト教文化圏」といわないのに、なぜイスラム文化圏と呼ぶのか? ・「イスラム文化圏」はアフリカ、中東だけでなく中央アジアやイン

【ニッポンの世界史】#25 越境する中国史:陳舜臣のユーラシア的想像力

 この評伝で紹介されているのは、1970年代の大衆歴史ブームを土壌として、日本を超える視点から、イスラムと中国を繋ぐ立場を果たした作家、陳舜臣(1924〜2008)です。  この陳舜臣という人が、「ニッポンの世界史」の再定義に、どのようなかかわりをもったか、今回はこれをみていくことにしましょう。 中国史の案内人  陳の魅力をひとことでいえば、まるで見てきたかのように中国の歴史を解き明かし、現代世界とのつながりを意識させるところにあります。    本籍は台湾にありましたが

【ニッポンの世界史】#24 世界史にとって、1970年代の「大衆歴史ブーム」とは何か?

1970年代の大衆歴史ブームの担い手は誰か?  まずは前回のふりかえりから。  1970年に高校の学習指導要領が改訂され、世界史A・Bが世界史に一本化されるとともに、「文化圏」学習がはじまったのでした。  改訂された新学習指導要領が実施されたのは1973年からのこと。  これに基づくカリキュラムと教科書により教育を受けることになったのは、1957年より後に生まれた高校生たちです。  1957年生まれは「ポスト団塊世代」ともいわれ、ギリギリ東京五輪の記憶があって、多感な時代

【ニッポンの世界史】#23 「国益」のための世界史へ:なぜイスラム世界は「文化圏」に格上げされたのか?

格上げされた「イスラム世界」  1970年度学習指導要領では「イスラム世界」が、ヨーロッパ文化圏、中国の文化圏とともに、単独で世界の「三大文化圏」のひとつに数えられるようになりました。  この「格上げ」の背景にあるのは、やはり戦後の研究の進展により参照できる情報が増えたということが大きいでしょう。  もともと西洋生まれの「世界史」において、イスラムの扱いは貧弱で、その傾向は、西洋的世界史の影響を強く受けた発足当初の世界史も同様でした。  そこでは、西洋文明が まるで”主