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2024年2月の記事一覧

【ニッポンの世界史】#29 「長い目」で世界史を見る:成長の限界・ノストラダムス・小松左京

終末論から生み出された新しい「世界史」観  「ニッポンの世界史」には、その時代の日本人のものの考え方や精神性のようなものが反映されているのではないか。  そのような観点に立ち、今あらためて1970年代をふりかえってみると、これまでみられなかった新しい種類の想像力が立ち上がり、それが日本人の歴史に対する考え方を変え、「世界史」の再定義に向かっていったのではないか、と思うのです。  まあ、1970年代のサブカルチャーや社会の変化については、すでにひととおり多くの人によって語り尽

(今こそ聴きたい!)Los Campesinos!のリリシズム、およびその政治性について

 ここ数日、シカゴのインディーバンドFrikoが話題になっている。ブライトアイズやキンセラ兄弟(Joan of arc,American Footballなど)を受け継ぐ、裏がった声とハードコアとカントリーを掛け合わせた(ざっくりとエモ的な)コード進行、潰れたギターと太鼓の感触。絶妙なバランスのソングライティングに私自身も夢中になって、何度も聴いている。聴いている中で気づいたのは、ウェールズ出身のインディバンドLos Campesinos!との類似性だ。  Los Camp

【ニッポンの世界史】#28 それぞれの「近代」批判:吉本隆明・阿部謹也・謝世輝

謝世輝のヨーロッパ中心主義批判  さて、今回は謝の世界史構想の全容に迫っていきます。  謝の構想を一言でいえば、「これまでの世界史はヨーロッパ中心主義的で、まちがっている」ということに尽きます。  たとえば、1974年の時点では次のように主張しています(謝世輝「世界史の構築のために」『歴史教育研究』57、1974、70-71頁)。  箇条書きににしながら、その特徴をあぶりだしてゆくことにします。 1.世界史にとって重要なのはアジア(東洋)だ  文明圏(文化圏)にわけて

2024/02/08、『PERFECT DAYS』と「文学」への眼差しについて

朝一で歯医者に行き銀歯を入れた後、ちょうどタイミングが嚙み合ったので京都シネマに自転車で向かい、ヴィム・ヴェンダース『PERFECT DAYS』を観てきた。 周囲にきくところ前評判はとても良く、楽しみな気持ちで向かったのだけれど、この映画を観て、近頃の自分が見落としていたこと、もう一度心に強く刻んでおきたい大切なことを、教えられた気がした。 それは、「人が生きること」、あるいは「文学」と、それを眼差す「観点」との関係である。 生きるということを最も深いところで擁護するとき、

【ニッポンの世界史】#27 忘れられた世界史家・謝世輝(しゃせいき)とは何者か?—万博・ヘドロ・ポストモダン

3つの不信  アジア初の国際博覧会であった大阪万博は、1970年3月15日から9月13日までの183日間開催され、国内外から116のパビリオンが参加しました。総入場者数約6421万人は、当時として史上最高の記録でした。  グランドテーマは「人類の進歩と調和」。共存が難しい「進歩」と「調和」を掲げ、人類の高い理想を追求するものでしたが、戦後日本の歴史は、1970年を境にとして、大きな転換点を迎えることとなります。  図式的に書けば、次のようになるかもしれません。  ① 西

9.京都盆地と奈良盆地は湖だったのか? 

京都の古い資料を見ていると京都盆地はかつて湖だったといいう文言をよく目にします。奈良盆地に関しても、以前の関西高低差大学の講義終了後の質疑応答で、「奈良盆地には、万葉集が詠まれた時代に湖があったのですか?」という質問があり、「湖と呼べる規模のものがあったかは懐疑的だが、今度調べてみますね」とお答えし、私・新之介の宿題になっていました。地形のなりたちを遡っていくと京都や奈良にも海水が侵入した時期がありましたが、それらは何十万年も前の話で、インターネット上にはその痕跡として湖が残

【ニッポンの世界史】#26 テクノロジーと精神文化:マクニールの世界史は、何が新しかったのか?

世界は3つの文化圏でできている?  さて、ここで視点をいったん”公式”世界史の動向に戻しましょう。  1970年度の学習指導要領改訂では、前近代には三大文化圏(ヨーロッパ、イスラム、中国)に分けて学習していく文化圏学習が導入されたのでしたね。  しかしこの分け方に対しては当時から批判もありました。 ・ヨーロッパは多数派を占めた宗教の名前から「キリスト教文化圏」といわないのに、なぜイスラム文化圏と呼ぶのか? ・「イスラム文化圏」はアフリカ、中東だけでなく中央アジアやイン

【ニッポンの世界史】#25 越境する中国史:陳舜臣のユーラシア的想像力

 この評伝で紹介されているのは、1970年代の大衆歴史ブームを土壌として、日本を超える視点から、イスラムと中国を繋ぐ立場を果たした作家、陳舜臣(1924〜2008)です。  この陳舜臣という人が、「ニッポンの世界史」の再定義に、どのようなかかわりをもったか、今回はこれをみていくことにしましょう。 中国史の案内人  陳の魅力をひとことでいえば、まるで見てきたかのように中国の歴史を解き明かし、現代世界とのつながりを意識させるところにあります。    本籍は台湾にありましたが

【ニッポンの世界史】#23 「国益」のための世界史へ:なぜイスラム世界は「文化圏」に格上げされたのか?

格上げされた「イスラム世界」  1970年度学習指導要領では「イスラム世界」が、ヨーロッパ文化圏、中国の文化圏とともに、単独で世界の「三大文化圏」のひとつに数えられるようになりました。  この「格上げ」の背景にあるのは、やはり戦後の研究の進展により参照できる情報が増えたということが大きいでしょう。  もともと西洋生まれの「世界史」において、イスラムの扱いは貧弱で、その傾向は、西洋的世界史の影響を強く受けた発足当初の世界史も同様でした。  そこでは、西洋文明が まるで”主

【ニッポンの世界史】#22 「文化圏」学習の導入:1970年度学習指導要領の思惑

1970年代の世界史へ   学生運動の激化と挫折で幕を閉じた1960年代。ここからはさらに歩みを1970年代にすすめ、"公式" 世界史たる学習指導要領の改訂と、それに対する多様な "非公式" 世界史の動きをおさえながら、「ニッポンの世界史」がどのように再定義されていくかを追っていきましょう。 貧困の時代から選抜の時代へ  高度成長は、日本社会を大きく変えました。  1960年に6割を切っていた高校進学率が1970年代に9割を達成。  熾烈をきわめる「受験戦争」勝ち抜き少

【ニッポンの世界史】#21 反戦と世界史の60年代:映画の映した世界とサブカルチャーとしての漫画

ベトナム戦争の衝撃  日本が高度経済成長を驀進していた1960年代。  しかしちょっと視線を国外に向けてみれば、依然として世界のあちこちでは冷戦構造が緊張をもたらしていました。  1962年にはキューバ危機が勃発し、世界が冷や汗をかかされたと思ったら、その後しばし和解ムードとなりますが、63年にはケネディ大統領が暗殺。これに代わったジョンソン大統領は65年から北ベトナムの空爆(北爆)を開始し、のべ50万人の地上軍を投入することとなるベトナム戦争の火蓋が切って落とされます。

【ニッポンの世界史】#20 戦後の「世界史全集」ブームのゆくえ

出版ジャーナリズムが世界史をダメにした?  これまでたびたび紹介してきた歴史学者上原専禄は、1950年〜60年代までの世界史に関連する出版物の変遷について、次のように評しています。  この1969年に書かれた論考で上原がここで批評の対象としているのは、古代から現代までをカバーする「世界史全集」のことです。  全集といえば、「世界文学全集」や「百科事典」が刊行されるようになるのは、戦前の大正時代からのこと。新潮社の『世界文学全集』(全57巻、1927〜32年)は1冊1円の

【ニッポンの世界史】#19 「戦前」やアジアと向き合う世界史は可能か? : ロストウ・ライシャワー・竹内好

高度経済成長と近代化論  安保闘争が岸信介の退陣により急速に沈静化すると、政治の季節は経済の季節へとうつりかわります。GNPやら経済成長率やら、経済学者しか使わなかった用語が、国民の人口に膾炙するようになっていく。  「いざなぎ景気」や「三種の神器」といういずれも皇室と関連する言葉を用いたネーミングが、経済成長を象徴することばとして流行したことは、日本人の自信回復のあらわれでもありました。  思い起こせば、1945(昭和20)年に戦争が終わり、「間違っていた」とみなされるよ

【ニッポンの世界史】第18回:1960年代の新動向—「明治百年」・反戦・『岩波講座世界歴史』

昭和元禄と明治百年:政治から経済へ  学習指導要領が告示された1960年は、日米安保をめぐる闘争が、条約の締結と岸信介内閣の退陣という幕引きをみた年でもありました。  岸を引き継いだ池田内閣は、防衛費をおさえつつ経済成長に力を入れ、ここから「政治」の時代は「経済」の時代に様変わりします。1964年には東京オリンピックが開催され、国民の生活水準も全体として着実に上向いて行きました。「豊かさ」がそこかしこにひろがり、1968年には「昭和元禄」という言葉も聞かれるようになりました