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日本では80年代前半、アメリカから輸入された危険な非加熱製剤が、血友病専門医や製薬会社の社員の指導のもと、大量に使用され。加熱製剤の認可後も、危険な非加熱製剤はただちに回収されることなく使用され続けたという過去をご存知ですか?

薬害エイズ事件をご存知ですか?
つい数十年前の出来事です。

まとめましたので、早速見ていきましょう。

薬害エイズ事件のあらまし
▷血友病患者の悲劇


日本には約5000人の血友病患者がいます。

血友病とは止血に必要な凝固因子が不足しているため、出血した場合に止まりにくい病気のことで、不足している凝固因子によって、血友病A(第8因子)、血友病B(第9因子)に分類されます。
出血した場合の治療として用いられるのが血液製剤です。
1970年代末になると国産のクリオ製剤よりも簡便な濃縮凝固因子製剤が登場し、治療に使用されるようになりました。
しかしこれらの製剤にはウイルスを不活化するための加熱処理はされていませんでした。

そしてこの中にあのエイズ原因ウイルス(HIV)が混入していたのです。

80年代前半、アメリカから輸入された危険な非加熱製剤は、血友病専門医や製薬会社の社員の指導のもと、大量に使用されました。

しかも加熱製剤の認可後も、危険な非加熱製剤はただちに回収されることなく使用され続けたのです。

▷ 薬害エイズ訴訟

厚生省が承認した非加熱血液製剤にHIVが混入していたことにより、主に1982年から85年にかけて、これを治療に使った血友病患者の3割、約1400人もがHIVに感染しました。

被害者はいわれなき偏見により差別を受け社会から排除され、さらに感染告知が遅れ、発病予防の治療を受けなかったことに加え、二次・三次感染の悲劇も生まれました。

こうした状況の中、被害患者とその遺族は1989年東京と大阪の地方裁判所に、非加熱製剤の危険性を認識しながらも、それを認可・販売した厚生省と製薬企業5社を被告とする損害賠償訴訟を起こしました。

▷ 歴史的な勝利へ

裁判では厚生省や製薬企業がひた隠しにしてきた事実が次々に明らかになり、また提訴者も次第に増えていきました。
社会からの支援も日増しに大きくなり、『薬害エイズ事件』は一大社会問題に発展していきました。
こうして日本国中を巻き込んだ社会の大きなうねりは裁判所も揺り動かし、1996年3月被告が責任を全面的にに認め和解が成立。
国は被害者救済を図るため原告らと協議をしながら各種の恒久対策を実現させることを約束しました。

▷ 真相究明と薬害根絶に向けて

和解成立後、安部英帝京大学教授、ミドリ十字元・前・現社長、松村明仁厚生省生物製剤課長が相次いで逮捕され、薬害エイズ事件に捜査当局のメスが入りました。

「帝京大学ルート」、「ミドリ十字ルート」、「厚生省ルート」の3ルートの刑事裁判が始まり、真相究明がより進むことが期待されます。
また薬害エイズ事件の反省から、1999年8月には厚生労働省内に薬害根絶『誓いの碑』が建立され、このような悲惨な被害が二度と起こることのないように、国の薬務行政に厳しい監視の目を光らせています。

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▷まとめ

いかがでしょうか?
つい数十年前の出来事と思うと恐ろしいですよね。

今回の緊急承認ワクチン。こちらもまだ治験中です。100%安全と言い切れるのでしょうか。。。?

ご自身でしっかりと調べて接種を判断されることをお勧めいたします。

信じるか信じないかはあなた次第です。


▷参考

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