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「#世界はジャズを求めてる」2022.2月4週(2/24)『映画"The United States vs Billie Holiday"と"West Side Story"時代のラテン』eLPop伊藤嘉章・岡本郁生 #鎌倉F

『世界はジャズを求めてる』第4週は「ラテンとジャズの危険な関係」。eLPopの伊藤嘉章(mofongo)と岡本郁生(el Caminante)がお送りします。ジャズ評論家の油井正一さん「ジャズはカリブ音楽の一種」と喝破されたように成り立ちから一つのラテンとジャズは、垣根を意識することなくお互いに溶け合ってきています。そんな関係のカッコいい曲をお届できればと。番組をお聴きになってラテンに興味がでた方、ラテンがお好きな方はラテン音楽Web マガジン「エル・ポップ(eLPop)」など覗いて頂けたら幸いです。(URL=http://elpop.jp)

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 2月はまたジャズやラテンに関係する良い映画が2本封切りされました。一本はビリー・ホリデイの伝記映画『The United States vs Billie Holiday』

『The United States vs Billie Holiday』

もう一本は1961年の名作映画をスティーヴン・スピルバーグ監督がリメイクした『ウエストサイドストーリー』。この今日は2本をつなぐ形で同時代のラテン・ジャズをお送りします。ちょっと年代を追う形になりそうです。

『ウエストサイドストーリー』

1曲目はまずビリー・ホリデイの伝記映画『The United States vs Billie Holiday』のサウンドトラックから主演のAndra Dayが歌う 『All of Me』をお送りします。

1.    Andra Day - All of Me (from the motion picture The United States Vs. Billie Holiday)(2021)

まず映画の事をご紹介しますと:

「プレシャス」「大統領の執事の涙」のリー・ダニエルズ監督が、1959年に44歳の若さで死去したジャズの伝説的歌手ビリー・ホリデイを描いた伝記映画です。人種差別を告発する曲「奇妙な果実」を歌い続けたことで、FBIのターゲットとして追われていたエピソードに焦点を当て、彼女の短くも波乱に満ちた生涯を描き出す作品。奇妙な果実は1939年ですから1955年のモンゴメリー・バス事件、1957年のリトルロック高校事件などが起こった1950-60年代公民権運動のずっと前に人種差別に敢然と立ち向かったのでした。 

*1957リトルロック高校事件

黒人学生の入学を、再選のための白人票稼ぎを目論んだ白人至上主義者のアーカンソー州のオーヴァル・フォーバス知事が拒否し、「白人過激派による襲撃事件が起きるという情報があるので学校を閉鎖する」という理由をつけて州兵を召集し学校を閉鎖した入学を阻止しようとした事件。

チャーリー・ミンガス(b)はこれに強く抗議して1959年『Mingus Ah Um』で事件を激しく非難する曲「Fables of Faubus」を初録音。コロンビア・レコードは歌詞付を拒否しインストゥルメンタルで収録。その後ミンガスは独立系キャンディッドから『Charles Mingus Presents Charles Mingus』(1960年)契約上の問題で題名を「Original Faubus Fables」に変えて歌付で発表。メンバーはチャールズ・ミンガス(b,vo)、ダニー・リッチモンド(ds,vo)、エリック・ドルフィー(as)、テッド・カーソン(tp)

ビリーの話にもどります。1940年代の人種差別の撤廃運動/公民権運動の黎明期、合衆国政府から反乱の芽を潰すよう命じられていたFBIは、絶大な人気を誇る彼女の大ヒット曲「奇妙な果実」が人々を扇動すると危険視し、彼女にターゲットを絞ります。おとり捜査官としてビリーのもとに送り込まれた黒人の捜査官ジミー・フレッチャーは、肌の色や身分の違いも越えて人々を魅了し、逆境に立つほど輝くビリーのステージパフォーマンスにひかれ、次第に彼女に心酔していきますが、その先には、FBIの仕かけた罠や陰謀が待ち受けていた、というようなストーリー。

ビリー・ホリデイの映画は去年日本公開のドキュメンタリー”Billie”やダイアナ・ロスが演じた1972年の”奇妙な果実”がありますが、今回の映画は題名の通り、彼女に「Strange Fruit」を歌わせまいとする米政府側との闘いに焦点を当てたもの。関係者がもう皆んな亡くなってるから、1972年版よりストレートに描けています。

主演はグラミー賞ノミネート歴もあるR&Bシンガーのアンドラ・デイがホリデイ役を演じ、劇中のパフォーマンスも担当。第78回ゴールデングローブ賞で最優秀主演女優賞(ドラマ部門)を受賞し、第93回アカデミー主演女優賞にもノミネートされました。

アンドラ・デイは本名カサンドラ・モニーク・バティ(1984年生)。2015年にデビューアルバム『Cheers to the Fall』をリリースし、2016年のグラミーで、アルバムはベストR&Bアルバムに、シングル「ライズアップ」はベストR&Bパフォーマンスにノミネートされました。 「ライズアップ」のプロモーションのため、The Viewで曲を披露し、このパフォーマンスによりデイタイム・エミー賞にノミネート。 また、2015年後半にApple TVの広告で、彼女を発掘スティービー・ワンダーと出演しています。

 

またビリー・ホリデイに戻ります。

ビリー・ホリデイは1915年生まれ。1933年にデビューし、1935年にエリントンと共演などもあってスターダムに登り、40年代には地位を確立。もう少し詳しいバイオはそのころのNYラテンと重ね合わせながら、曲と共にご紹介します。1959年に逝去。44歳でした。

ビリーの生まれた1915年というと、ラテンではザビア・クガートがスペインからNYに来た年。デューク・エリントン(1899生)は17歳でプロになった年です。

Billie Holiday

ちなみにここからビリーの初録音までの18年間には:

禁酒法(1920-1933)があり、上述のエリントンはコットンクラブとの契約を(1927)、クガートはウォルドーフ・アストリアとの契約(1931)を決め、共に演奏の全米ラジオ放送でNYのビッグバンドが一気に全米に広まる時代に乗りました。ベニー・グッドマンやチック・ウエッブ楽団(1926結成)など多くのビッグバンドが活躍します。

そしてその間に次の世代が続々この世に生まれました。例えばラテンならホセ・クルベーロ(1917)、ティト・プエンテ(1923)、ジャズならディジー・ガレスピー(1917)、チャーリー・パーカー(1920)といった具合です。

 

■1933年 ビリー・ホリデイ、ベニーグッドマンと初録音

1936 ビリーが自己名義の録音を行ったころ

 (1936パーカー、カンサスに 1937シカゴからベイシーがNYに)

長くなりましたが、2曲目はビリーが自己名義の録音を行った頃のデューク・エリントンのナンバー「ミッドナイト・フィエスタ」です副題は「プエルトリカン・ケイオス(カオス)」

2.    『Moonlight Fiesta/Puerto Rican Chaos』Duke Ellington Orch (Juan Tizol作)(1935)(2:54)

すごい題名ですね。作曲はもちろん、エリントン楽団にラテン要素を注入し、「キャラバン」や「パーディド(ペルディード)」を作曲したホァン・ティソール(tb)です。

Rex Stuart, Chrles Cootie Williams (tp), Lawrence Brown, Sam Nanton, Juan Tizol (tb), Johnny Hodges (ss), Otto Hardwick (as), Harry carney(bs), Ellington (p),Hayes Alvis, Billy Taylor (b), William Sonny Greer (ds) 1935 ARC Branswick

このころ、ラテンはクガート、ノロ・モラレスの時代、ジャズはグッドマン、エリントン、キャブキャロウエイ。そしてそれがグッドマン、エリントン、チック・ウエブ、ベイシーへと変わっていきます。

3曲目はそのノロ・モラレスの曲「バング・ザ・ボンゴ」です。

3.『Bang The Bongo』Noro Morales

 Noro(p), Bobby(b), Cuso(maracas), Steve(congas), Sonny(Timb), Bilingui(bongo)

1939年(24歳)ビリー・ホリデイ「奇妙な果実」録音。

さていよいよビリーは1939年に「奇妙な果実」を録音、物議をかもしだし始めます。

ラテンはNYにマチート移住(1937)、ホセ・クルベーロNY移住(1939)、マチート楽団結成(1940)といよいよマンボに続く道の地固めが終わりました。

1941年ビリー・ホリデイ ジミー・モンローと結婚、
このころから麻薬依存に 

ホセ・クルベーロ楽団結成(1942)

4曲目はマチート初期のヒット。NYラティーノの苦労を歌った曲「ソパ・デ・ピチョン」です。

4. 『Sopa de Pichon』Machito orchestra (1942)(3:00)

さて40年代に入るとジャズもラテンもがぜん動きが出ています。一方日本は1941年に真珠湾攻撃で太平洋戦争をスタート。NYはジャズもラテンも1942年-44年のレコーディングストライキでミュージシャンの仕事に影響が出てる中、ジャムセッション(「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」(1941)とか)から、「ビバップ」が誕生してきます。そしてそれはラテンでは「アフロキューバン・ジャズ=キューバップ」へつ繋がるベースとなります。

戦争の影響もありました・1942年ティト・プエンテ召集・1943年マチート召集、グラシエラが参加、マチート帰還 そして1945年戦争終結

40年代前半から後半にかけてはラテンはノロとマチートとクルベーロの時代とも言えました。

5曲目はホセ・クルベロの戦後すぐ1946年の作品。メンバーに若きティト・プエンテ、ティト・ロドリゲスと後の3大マンボ・バンドのリーターとなる2人を擁しています。

5. 『El Ray del Mambo』Jose Curbelo(1946)

José Curbelo (Diréctor,Piano). Tito Rodríguez (Cantante). Tito Puente (Timbales). José Curbelo Sr (Contrabajo). Nilo Curbelo, Ralph Nasser, Irwin Applebaum (Trompetas). Ben Pickering (Trombón). Mel Lewis, Carl Orich, Tony Castellano, Leo Biondo (Saxofones). Chino Pozo (Bongó). Carlos Vidal (Congas).

もう1曲、ホセ・クルベーロの「ラ・ファミリア」(1955)を。歌はあのモン・リベラ!かっこいい。

6. 『La Familia』Jose Curbelo(1955)


 ■1947年 ビリー・ホリデイ 麻薬所持で服役。

ビリーが麻薬所持で服役の年、1947年ティト・プエンテ楽団結成されてます。そしてジャズは「Bird and Diz at Carnegie Hall 」でバップ絶好調。 

40年代後半はいよいよマンボ、そしてジャズはビバップ。そして両者が合体した素晴らしい作品が出てきます。

7曲目は定番「マンテカ」

7.『Manteca( Auditorio Cívico de Pasadena)』Dizzy Gillespie Orchestra (1948)

1948年出所、ビリー、カーネギーホールに出演、ジョン・レヴィと結婚

 そのころ1948 年ティト・ロドリゲズ楽団(マンボデヴィルス)結成

1年服役で1948年に出所したビリーは早速カーネギーホールに出演。同じ年ティト・ロドリゲスがオルケスタを結成。マチート、ティト・プエンテ、ティト・ロドリゲスの3大マンボ・オーケストラがそろいます。

曲はティト・ロドリゲス楽団の「アップ&ダウン・マンボ」ピアノは名手ヒル・ロペス。

8. 『Up and Down Mambo』Tito Rodriguez Orchestra (1951)

Tito Rodríguez (Líder, Cantante en los tracks 05 al 11, Maracas). Al Beck, Willie Dubas, Chino González, Paquito Dávila (Trompetas). Gil López y Tommy García (Piano). Luís Barreto (Contrabajo). Ray Tinto (quien realmente era Ray "Little" Romero - Bongó). Chuck Miala (Conga). Ignacio Reyes (Timbales).

ティト・プエンテもお送りしましょう。9曲目は「アバニキート」

アバニキートとは小さな扇、または「扇ちゃん」みたいな愛称で呼んだ感じとかまあ扇の事。のこと。扇を開くと扇の骨が小さく「パラパラパラ」と音を出しますが、ティンバレスのフィルインの音「トゥルルルル。カン!」みたいなフレーズを「アバニコ」言い、そこから来ています。

ティンバレスを叩くとき、スティックは八の字になりますが、ティト・プエンテが叩くと速すぎでそれが扇のように見える、というまあ自慢みたいな曲だという冗談もありますが(笑)

9. 『Abaniquito』Tito Puente Orchestra(2:50) Vicentico Veldez がボーカル。

■ビリー、サンフランシスコで逮捕(1949)1954欧州ツアー

1950-60年代公民権運動のずっと前。(1955モンゴメリー・バス事件、1957リトルロック高校事件)

■1956、ビリーまた逮捕

1957年ウエストサイド物語ブロードウエー

さて、1949年ビリーは再びFBIの嫌がらせでサンフランシスコで逮捕されたり、釈放されてショウビズに戻り1954年に欧州ツアーに出たりしますが1956年にまた逮捕とアメリカ政府側との闘いは続きます。そしてその間アメリカでは公民権運動が大きく動き出します。

そんな中1957年にウエストサイド物語が最初ワシントンで、そしてブロードウエーで大ヒットをします。時はマンボ時代真っただ中。そして1961年に映画化されます。

やっと、ウエストサイド・ストーリーまで来ました。

昨年2021年にスティーブン・スピルバーグ監督が、「ロミオとジュリエット」をモチーフにしたこの伝説のミュージカルを映画化しましたが、ニューヨークのウエスト・サイドでの2つの若者グループの対立の中での、運命に逆らい社会の分断を乗り越えようとした“禁断の愛”の物語、というプロットは変わっていません、

ビリー・ホリデイを描いた『The United States vs Billie Holiday』黒人/アフロアメリカンヘの差別と闘いを描いた一方、スピルバーグの『ウエストサイドストーリー』はプエルトリカンヘの差別や社会の分断を描いたものと言えるか面があると言えましょう。

最後2曲は映画「ウエストサイドストリー」から。

1曲目は「マンボ」まさにマンボ時代のムードをレナード・バーンスタインが取り込んで作曲したもの。2021年のサントラから。

そして2曲目は「ラ・ボリンケーニャ」これは1961年版になかった曲。」

10.『Mambo』Original Sound Track

今回のリメイクは原作より「プエルトリコ」が詳細に描かれますが、この新しい曲は、プエルトリコがスペインが独立を狙っていたころの内容を織り込んだプロテストの歌。アメリカの一部であるのに未だに米議会に人を送れない、州にもなれないという中途半端な位置に放っておかれているプエルトリコですが、国ではないプエルトリコの「国歌」のような曲です。

11. 『La Borinquena』Original Sound Track

■1958年ビリー「レディ・イン・サテン」録音。プエンテ「ダンスマニア」

■1959年5月ビリー、ハーレムのメトロポリタン病院入院、7/17死去

最後はラテン側からビリーへのオマージュでお別れです。「レディ・イン・サテン」にも収録のI'm A Fool To Want Youをブライアン・リンチ(tp)のアルバムから。

12.Brian lynch "I'm A Fool To Want You" from album “Bolero Nights for Billie Holiday” (2008)

 

 

2月は以上です。

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