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無意識にやっちゃったミス

失敗した時に思ったこと

失敗っていうやつは、色々な要素を検討した上でやっぱり選択肢を誤ってしまったのなら、もうしょうがないって気もする。

取り返しのつかないことになるのは勘弁なんだけど、大体のことは計画を変更するとか、軌道を修正するとかで何とかなると信じている。

リセットボタン

失敗した瞬間っていうのは特に心が弱くなるもので、"マジ"でやり直させて欲しいと考えるものです。
いや〜時間を戻したいものです。巻き戻してやり直したいものです。
もし時間を戻す力が手に入ったら、この世で最も強い力かもしれない。リセットボタンを押すように、簡単にミスを「無かったことに」するようになってしまうだろう。絶対に癖になるだろう。

よーく考えたのに失敗してしまう訳

A.人には無意識があるから。
もはや言い訳としか言えない屁理屈だけど、もう無意識としか言えないんだけど『こういうふうにしたい、こういうふうになってほしい』みたいな願望があって、それが時々噴き出してしまうのが失敗の大元なんじゃないかな。
普段は理性で押さえつけているけど、自分ですら誤魔化して騙して、普段は顔すら見せない無意識。

失敗はその時の一瞬のつまらないミスというより、やっぱり元を辿れば、長い長い時間の蓄積による何かに原因があって、それは失敗することでしか気が付けないレベルで無意識に根付いていたものではないかな?
そういうことがあるのだとしたら。
もうそうなってくると、諦めるしかない気がします。
無意識なぁ。ま、これも言い訳だけどね。
だけど恐ろしいよね?無意識って。避けようがないじゃない。本当に恐ろしいのは無意識の領域に何が秘められているのかってことですか?

そもそも無意識っていうのは?

日々生活のために押し殺している感情や、手放してきた願い、やり過ごしてきた怒り、そういうのが一切なくなるってことはなくて、やっぱり蓄積してしてしまって、それが無意識な行動になるのでは、と考察してみます。
僕たちは大人のフリをして、大人と共に行動して、大人のフリをするのが上手いやつほど社会に適合していけますからね。
何かこう、正しさのために押さえ込んだものがあるはずなのです。

無意識にやっちゃったんか?

失敗を、理性ではなく無意識がやったことにしたいだけかも知れません。酷い言い訳だなこりゃ。

様々な要素を吟味して、自他共に誰にも損をさせない方法を考えたつもりでも、みんなが得をする方法を思いついたと思っても、いやー!やっぱりやめときゃよかったなー!と思ってしまうことはあります。
顔から火が出るような恥ずかしさです。

だけど、ミスったとして。なんかわかんねぇけど、その時どうしてもそうしたくなったんだとしたら、それって無意識的にそうしたかったからだとしか言いようがないと思いませんか?
そんな無意識に明日もちょっとずつ言動を左右されるのかも知れません。
だったらしょうがないよねーなんて。

ま、自分以外からしたら「無意識でした」じゃ済まされないか。
慰めにはなっても救済にはなりませんでしたね。
終わり。