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 心が傷ついて疲れた日は、思いっきり泣いて、夜中に牛丼を食べて

 ふと思い立って、収納の中身を断捨離していたら、昔のノートがでてきた。ぼくは毎日ではなく気まぐれではあるが、思ったことやその日の出来事をノートに書くことがある。まぁ要するに日記のようなものだ。日記、といっても誰に見せるでもない、なんなら自分でも読めないほどの殴り書きなので果たして日記とよんでもいいのかは、はなはだ疑問ではあるのだが。

 まぁとにかく、ぼくはその“日記”をみつけ、そして誰もが一度は体験したことがあるであろう、勉強を始めようとしたら机の周りが気になって、掃除をはじめ、そして気づいたら漫画を読んでいる現象にまんまと陥ってしまったのである。

 その日記はおよそ5年ほど前のもので、パラパラと読んでいると、昔の自分の心の中をのぞいてるみたいで不思議な感覚になった。「あーそんなことあったっけ」と懐かしんでみたり、「いやいや、自分、考えすぎだろ!」とツッコミたくなったり。基本的に楽しんで、懐かしみながら読んでいたのだけど、その中に思わず胸をギュッと掴まれたような感覚になる、苦々しい思い出の文章があったので、恥ずかしいけれど、ここに載せてみることにする。殴り書きということもあって、あまりにも文章的におかしいところは多少直しているが、ほぼほぼそのまま起こしている。

 このことは書かなければならないだろう。昨日のことだ。ぼくは改めて心が傷つきやすいのだと思い知らされた。

 昨日、ぼくはバイトの面接に行ってきた。チェーンの飲食店。デリバリーなんかもしてる店だ。対応してくれたのは感じのいいおばさん。
 しかし、ぼくは店に入った瞬間にしまったと思った。バイトの子たちが掛け声をかけあっていたのだ。それはその店のルールでチェーン店にはよくあるマニュアルによるもの。ぼくは掛け声というより、叫んでいるのかと思った。
 ぼくは思い出した。マニュアルのきっちりした店では息苦しくなってしまうと。
 それでも面接は受けねばならない。少し待って、バタバタと他の人たちが動き回る横で、パイプ椅子を2つ並べて面接が始まった。
 学歴、職歴なんかをさらっとなぞってスムーズに進む。週に何回入れるか、という話になり、ぼくが週3希望だと伝えるとおばさんの顔が少し曇るのがわかった。ぼくは見逃さなかった。目の動きだけでわかった。情報はぼくの頭の中を駆け巡る。心がざわざわとゆれ始める。
「年末年始とお盆は忙しくて入ってもらわないといけないんだけど……」
 わかってるそんなの。でもそもそも、そのときまで続けてるかどうかもわからないし、そんな先のこと考えたくもない。
 ぼくがもごもごしていると、おばさんの顔がゆがむ。めんどくさい、という目をする。分かる。どうしてこんなにも分かりすぎるのか。
「うちはバイトの子がメインだし、働きやすいと思うわよ」おだやかな笑顔に戻り、おばさんが言う。
 そしてそのまま話は進み、週3のはずが、週3〜4になり、忙しいときはお願いね、というなんとも曖昧な条件がついた。
 何より働く前提で話しが進む。ぼくはまだ決めたわけじゃない。心が叫ぶ。だめだ、今言わないと。
「あ、でも、他にも面接があるんで……」
 絞り出したぼくの一言で、おばさんの顔が明らかに歪んだ。なんだこいつは、という目でぼくをみる。頭が真っ白になって、相手の目を見ないようにして、「他を受けてからにします」と言って逃げるように店を出た。
 帰り道を歩いてると、近くで車の大きなクラクションがなった。その音は別にぼくに向けられたものではなかったけど、ぼくはそれを聞いて泣いた。
「なんてダメなやつなんだお前は」
 ぼくはぼくをなじる。やめればいいのに。ぼくはぼくを責めるのをやめられない。

 その日の日記はここで終わっていた。
 この文章を読むまでこの出来事は忘れていたが、読んだ瞬間、ぼくの中で鮮明に記憶が蘇った。
 慌ただしい店内、活気のある掛け声、優しそうなおばさん、呆れたような目つき、がたがたするパイプ椅子、真っ白になる頭、胸の底まで響いてきたクラクションの音。
 ぼくはこのときのぼくの心を思い出して、ギュッと胸を掴まれたような気分になった。

 この出来事をめちゃくちゃシンプルにまとめるとこうだ。
 バイトの面接に行ったものの、自分には合わないな、と感じたので断って帰ってきた。
 こう書くと、ほんとにしょうもないことのように思えるが、当の本人、つまりぼくにとっては心が疲弊して、涙が出てしまうほどにショッキングな出来事だったのだ。

 今でこそ、面接で断っただけだ、大したことない、ましてや自分を追い詰める必要なんてまるでない、と冷静に思えるけど、渦中にいる本人からしたら、そう客観的に考えるのはなかなか難しい。
 心が疲れ、傷ついているときは往々にしてそういう状況に陥りがちだ。

 ぼくはこのときのぼくの気持ちが痛いほどわかった。それこそ分かりすぎるほどに分かったのだ。
 だからぼくはぼくに声をかけてやりたくなった。
 そっかぁ、それは大変だったなぁ。お疲れ様。まぁそんなに落ち込むなよ。っていうか断れたんだからすごいじゃん。合う合わないは誰にでもあるんだし、なぁなぁで働き出しちゃうより全然いいよ。おばさんを失望させちゃったって思ってるかもだけど、気にすることないって。それにきっともうお前のことなんて忘れてるよ。もしかしたら「さっきの面接に来た人、だめだったね」くらいは愚痴ってるかもだけど。でももう忘れてるよ、今頃ソファに寝っ転がってテレビでもみてるって。ま、合わなかったってことよ。ほら、泣きたいんなら思いっきり泣けばいいよ。横で黙っててあげるからさ。そんでそのうち、お腹が空くだろ? そしたら牛丼食べに行こうよ。夜中に食べる牛丼は格別に美味しいぞ。知ってるだろ? な? ご飯食べて、さっさと寝て。ゆっくり休んで。疲れたときは頑張るんじゃなくて休まないとなんだからさ。あ、そうだビールでも飲む?



 結局、断捨離はまるで進まず、昔の思い出に浸る日になってしまった。日記にはじまり、昔の携帯の写真フォルダー、当時の思い出の曲、というふうにまるで連想ゲームかのように、次々と思い出の沼にハマっていった。
 ちなみに例の日の日記の、次の次の日には再び日記を書いていて、そこにはお酒の飲み過ぎで起きるのがダルかった、だの、神社を散歩コースに組み込むとなんだか心が洗われる気がしていい、みたいななんてことはない日常が書いてあり、割とぼくは元気そうだったので安心した。
 ともあれ、断捨離は進まなかった。まぁゆっくり休むことも大事だし、疲れたら休憩して、それからまた始めればいいのだ。
 うん、そんなことを今日は日記に殴り書くとしよう。5年後のぼくは、今日という、思い出に浸った日のことを思い出して、どう思うだろうか。ああ、そんなこともあったなぁと懐かしむだろうか。なんだこいつ、さっさと断捨離進めろよ、と呆れ返らなければいいのだけど。それじゃあ、また5年後に。今日は牛丼を食べることにするよ。
 
 

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