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誰とも話さないでも楽しめるのは才能だ

 こんなことを言われたことがあります。

「もっと外に出て、人と会って話したほうがいいよ」

 ぼくは「なるほどな」と思いました。

 ぼくにそう言った、その人は、パワフルで活動的でとても魅力的な人です。
 その人は会社などで普段会う人とはまた別に、約束をとりつけて毎日誰かと必ず会うことを自分の中でルールにしているそうです。
 飲み会の誘いがあれば、基本的に断らずに出向くことにしているそうです。

 ぼくは、やっぱり「なるほどな」って、そう思いました。

 だから、そのアドバイスに従って(毎日はとても無理だけど)普段はいかないような大勢の飲み会に顔を出すようにしてみたり、今までは尻込みしていた知らない人のいるような場所にも行ってみたりもしました。

 ぼくは、その度に打ちのめされました。

 うまく会話に入れなくて、それをなんとも思ってないふりをして、へらへらと愛想笑いをして、無理して発言しようとして空回って、そしてそうやって空回ったことを必要以上にみんなが心の中で笑ってる気がして、途中で帰ろうとしても馴染めなくて途中で帰ったんだって思われるのが怖くて、それが本音なのにそれを隠して、どこにもいけずにただそこで平気なふりをするので精一杯で。

 あぁ、みんなはこういう場で楽しそうに話しているのに。
 人とコミュニケーションをとって日々成長しているのに。

 それに比べてぼくは。

 ある日、アドバイスをくれた例の魅力的な彼に聞いてみました。

「疲れたりすることってないんですか?」

 彼はこう言いました。

「全然、すごく楽しいよ! むしろ家でひとりでいるほうが気が滅入るでしょ?」

 ぼくは、そのときこう思いました。

「なるほどな」って。

 ぼくは今はこう思います。
 誰とも話さないでも楽しめるのは、才能だって。

 別に例の彼を否定しているわけでもないし、実際気の合う人と話すのはぼくも楽しいです。
 大勢人がいる場で盛り上がるのも理解できるし、なによりぼくは例の彼のことが人として大好きです。

 ただ、ぼくたちは違う人間です。
 ぼくと彼は違う人間だし、ぼくとあなたは違う人間です。

 そこにあるのは性質の違い。ただそれだけです。
 良いも悪いもなくて、違うだけ。
 でもいつの間にか、少数派が悪いことにされちゃっただけ。

 でも、たしかに引きこもりすぎは良くないなとも思います。
 だからきっとバランスは大事です。
 でもそのバランスは、他の誰でもない自分で決めていいものだし、それは自分で決めるべきものです。

 ぼくは時々忘れそうになってしまうことがあるんですけど、この世の中にはたくさんの人がいます。当たり前ですけど。

 自分の周りに人がいて。
 日本中にたくさんの人がいて、世界中にたくさんの人がいます。
 それぞれが、それぞれの想いを持って生きています。
 ぼくが会ったことのある人なんてほんのほんの一握りの人たちで、その人たちは決して世界の全てではありません。

 そう気付けると、自分という存在がとてもちっぽけに感じます。
「ちっぽけ」っていう言葉だけで聞くと、なんだかマイナスの意味に聞こえますけど、そうじゃありません。
 自分は結局世界の一部でしかなくて、たくさんいる人間のうちの一人でしかない。
 だから特別でもなんでもなくて、ただのちっぽけな存在。

 だからこそ。
 だからこそ、もっと自分らしくていい。

 自分は特別でもなんでもないんだからもっと自由で良い。
 変でもいいし、おかしくてもいい。
 ぼくはぼくでいいし、あなたはあなたのままでいい。

 ぼくはぼくという存在において一つの世界だけど、
 それと同時に大きな世界のほんの一部でしかない。

 ぼくは今日誰とも話しませんでした。

 本を読んで、Youtubeをみて、散歩をして、映画をみて、ご飯を食べて、ビールを飲みました。

 ぼくは今日誰とも話しませんでした。

 でも、ぼくは今日も幸せです。

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