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今日は昼から酒を飲んでいる、から

圧倒的な才能をみせつけられると、ぞわぞわと背中をなぞるような興奮と、それから、自分のしょうもなさを、これでもかと、思い知らされる。

でも、そんなものは、結局空っぽなのだとも思う。

多数、少数、の違いはあれど、結局、才能があるかどうかなんて非常に曖昧なものは、その人の主観でしかない。

それに、悲しいかな。
圧倒的な才能、その尖り散らして、他を寄せ付けない特異なポジションに、憧れにも似た、嫉妬を感じると同時に、一切、棘のない、まるっこいつるっとした、邪のない存在にすら、自分はなれないと気づくのだ。

そのまるっとした存在は、その時点でとんでもない圧倒的な才能だから。

つまり、ぼくが何を言いたいのかというと、ぼくはとんでもなく中途半端な位置にいるということである。


……。ここで終わり、だった。少し前までのぼく、ならば。

でも、待ってほしい。


尖り散らした、才能も、尖ることのない、その才能も。中途半端なぼくがいることにより、その才能は、その才能が存在することがわかるのである。

じゃあ、ぼくはどこまでいっても、他と比較され、常に才能のない方と揶揄される位置にいるのかというとそうではない。


そもそも関係性は縦に位置していない。

それぞれは独立している。


しかし、人間というのはやっかいなもので、どうしても、縦や、横に、その関係性を定義しないと気が済まないのである。

つまり、ぼくはぼくの中途半端な才能という時点で、特別であり、唯一なのである。まぁ、中途半端な才能、という時点で比較から生まれる形容なのだが。


だから、ぼくは悲観はしていない。


不安になり、自分の存在を見失いそうになることはあれど、それでも、やっぱりそこには、ぼくしかいないのだから、結局、見つけようと手を伸ばせば、そこにいるのは、やっぱりぼくなのである。

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