丁度いいモノに気付いた。
書いても良い、描いても良い、書かなくても良い、描かなくても良い。
メモをするけど、どこに書いたか分からなくなる。一冊のノートに書いたりしてたけど、そのノートも途中までしか書かなかったりする。書いても書くだけで満足して、何をどこに書いたのかすら思い出そうとしない。
そのうちノートの存在が重くなって、ノートに対して「申し訳ない」と思うようになっている事に、気づいた。
どうやら私は何でもその場でメモりたいようだけど、思いつきの行動なので目の前のものに、手帳の端っこ、お店のコースターや配布されたプリントはもちろん、メモ帳もあちこちと置いてそこに書く。
メモ帳が思うところになくても、目の前に郵便物があれば裏返してその封筒の空いてる場所にメモる。だからメモ帳が無くなっても、その事にすら気付かない場合もある。気づいても書けば満足だから、メモ帳がないことは重要じゃないので忘れる。
長く書き綴りたいわけじゃない。その時に必要なことを大小関係なくどんな素材だろうといちいち1枚のシートを持ってきて、そこに書けばそれで満足するようだ、
という事に気づいた。この年齢で(笑)
なので、ルーズリーフを持ち歩くようにした。
お客さんに説明するときも白紙のルーズリーフを広げて絵や図を書くようになった。頭の中を整理するときも、方眼ノートのルーズリーフを1枚出すようになった。
カチャンと一枚のシートを取り出し、カチャンと好き勝手に書いたシートを好きなところに仕舞う。
うん、丁度いいものが見つかった。
ルーズリーフがメモがわりなんて贅沢だけど、一番しっくりくるモノが見つかった喜びが、こんなにも生活に影響することを初めて知った。
私は世の中から不定愁訴や慢性の痛みで悩む人がいなくなればいいと思っています。
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