介護の終わりに(13)

私は、義母につらくあたっていた。義母は、そのような対応をされたことがなかったのだろう。どうしていいのか、わからなかっただろう。
ごめんなさい、といいたいけど、いえない。

「ミステリという勿れ」(田村由美)を読んだ。
https://honto.jp/ebook/pd_28896090.html

一巻で主人公の久能くんが、後悔について語っていた。それを読んで、私は自分は後悔したい人なんだなと実感した。
久能くんが語るように、実際に行動するよりも、後悔するほうが楽なんだろう。

父親の介護をしなかったことには、後悔はない。でも、義母にもう少しでも穏やかに接することができていたら、と後悔が残る。

義母は、だんだんに認知症が進行してきて、在宅介護が難しくなってきた。

まず、義母の息子である夫のことをわからなくなってきたのだ。私のことは当然わからなくなってきて、私の名前は出て来づらくなった。私のことが何となく知らないわけではない人のようだ、という状態になった。

夫のことは、わかる日もあれば、「おまえだれだ」というような日もある。

夫のことを呼んでいたので、私が夫を仕事場から呼び出したことがある。何度も夫の名前を呼んでいた義母をみていて、どうやってもその声は夫に届きそうにないからだ。特に私が優しいわけではなくて、ただ、夫を呼び出そう、そう思っただけだ。

夫が目の前にきて、義母が言った。「おまえじゃない」。

そうか、ここまでのことが起こるのか。認知症の人は何人も知っていた(仕事柄そうなる)。でも、身近な人が認知症となり、どんどんと音が聞こえそうなくらいの勢いで、何もかも忘れていく様子が繰り広げられていくことは、知らなかった。

夫は、ショックだったのかもしれないが、「(その名前の人は)俺しかいないだろうが」と言って、仕事場に戻っていった。

どうしたらいいのかわからない空気が流れた。その中に、小学校から息子が帰宅した。

「介護が終わったときにあなたの物語を書くべきだ」(酒井穣)。確かにそうだなと素直に書き始めました。とはいえ、3か月以上悩みました。