介護の終わりに(11)

義母は、出会った時からサバイバーだった。彼女は、3回の脳梗塞の発作を体験していた。

その介護をしていた私の夫は、介護を受けるための手続きを知っていたが、再現して私に伝えるには、疲労し切っていた。

義母は初めて出会ったとき、70歳代後半。戦争も体験したし、結婚も離婚も妊娠も出産も…。あらゆる体験を経た、サバイバーだった。
そして彼女は、最後の体験の最中だった。でもその体験を私に伝えることはできなかった。

義母の最後の体験。認知症だ。

義母と出会った最初のうちは、単純にものを忘れるだけだと思っていた。料理はできる。朝食を、義母と夫と私の3人分用意してくれていた。そのうち気が付いた。

片づけ、物の管理が、だめなのだと。

家の押し入れの中のことは言うに及ばず、冷蔵庫も、目についたところから物を入れてしまうので、何をどう置いたか、決まりが特にない。

いや、決まりをつくったとしても、次々と忘れるので、ないのと同じだった。

何かに似ていると私は思った。

土砂崩れとか、シシュポスの仕事とか。とにかく、記憶も経験も積み重ねるとはいかないのだ。

ああ、これを義母に出会った当時に気が付いておけばよかった、ということがたくさんある。冷静に書いている、前述のこともすべてそうだ。

義母の介護は、後悔そのものだ。

「介護が終わったときにあなたの物語を書くべきだ」(酒井穣)。確かにそうだなと素直に書き始めました。とはいえ、3か月以上悩みました。