介護の終わりに(12)

義母とは、仲良くできなかった。

父との関係もあったし、職業(医療関係者)を鼻にかけていた。だからだろうか。何事よらず物事をうまくできない人を嘲ることを身に着けてしまっていた。

義母はそういう私の被害にあっていた。

そんな人と、たとえ認知症だったにしても、仲良くできそうにはないだろう。だれだって。認知症だから、言葉でのやり取りが難しいときが多いからこそ、できないだろう。そういうことだ。

義母は一生懸命生きていた。夫の塾の教材を、夫が勧めるとおりにやった。脳梗塞のリハビリになるから、と夫が言っていた。義母はどう思っていたのか、わからない。同じように思っていたのかもしれない。違ったのかもしれない。

私が、結納の時に私の実家に来てほしいとお願いした時も、かなり寒い時期だったのに、頑張って来てくれた。残念なことに私は当然と思っていた。

私はそのように頑張って生きている人に、どう接したらいいのか、全然わからなかった。わからなくて、義母と接することから逃げていた。夫にいつも「あなたのお母さんなんだから」と言っていた。義母の介護にかかわったことはないと、誰かから面と向かって非難されても、私は黙るしかない。そのとおりだから。

息子が生まれた時も、とても喜んでくれた。もちろん、細かいいさかいはあったのだけれども、私が勝手に忘れてしまっている。私が流産した時も、たどたどしく慰めようとしてくれた。

義母は、そうこうしているうちに外傷性硬膜下出血になってしまった。

「介護が終わったときにあなたの物語を書くべきだ」(酒井穣)。確かにそうだなと素直に書き始めました。とはいえ、3か月以上悩みました。