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Vol.1 終活とは?

終活の定義

「終活」をネットで調べてみると以下のような内容が出てきました。
曰く「終活」とは、人生の最後の段階で、自分自身や家族のために準備を整えることだそうです。
具体的には、自分の意思や希望を尊重しながら、葬儀や遺言書、遺品整理などを計画することとなっています。

自分と家族にとっての準備

ここで重要なのは「自分の意志や希望を尊重しながら進めること」ではないかと私は受け止めました。
誰でもない、自分自身の最後をどうするのか、どのような締めくくり方をするのかを考えるわけです。
そして、そこから派生する葬儀や遺言書、遺品整理なども自分の手で、もしくは自分がすべてを理解した状態でやりましょう、ということです。
すべてを残された家族に丸投げでも良いのですが、亡くなった後であれば、文字通りなんの口出しもできない状態なので、思い通りにならなかったり、価値のある大事なものを二束三文で処分されても仕方ありません。そうであれば自分の思い描いた最後を迎えられるように、心置きなく旅立てるように準備するのが安心ですよね。それこそが「自分の意志や希望を尊重する」ことだと思います。
そしてこれらは自分だけでなく家族にも関わることなのは言うまでもありません。
次にその関わり方を考えてみましょう。

自分が自分でなくなってしまう瞬間のために準備する

「自分の意思や希望を尊重しながら」と書きました。ではそれができない状況とは何でしょう。
大きく分けると2種類あると思います。
一つは単純に自分が亡くなってしまう事です。
先ほどの通り、自分が亡くなってしまったら口出しできません。
その場で自分の意思を伝えることが、どうあってもかなわないわけです。
もう一つは、生きていても自分が自分でわからなくなってしまう事です。病気であれ不慮の事故であれ、様々な症状が重くなると、自分の意思を正しく伝えることができなくなってしまいます。
どちらのケースでも、周到に準備をしていない限り自分の希望をかなえる手段はありません。
「自分の思いを自分の意志で正しく伝えることができないこと」からすれば、この2種類の身体の状態は、何ら変わりがありません。
なので元気なうちに早くからしっかり準備をしておけば、たとえ自分の手を離れても思い通りになるようにしておくことが可能です。
「自分だけは関係ない」「まだ大丈夫」ではなく「やっておいて良かった」と言えるようになりたいなと思います。

家族にとっての準備とは

なにかあった場合を想定することは家族にとっても大事な事です。
ご本人も「そんなこと、縁起でもない」と言うでしょうし、家族としても「そんな親不孝な事、考えるだけで腹が立つ」と思われるでしょう。
しかしながら時期の差こそあるものの、最後は誰にでも100%訪れます。
その時になって思うのは、まさに「後悔先に立たず」です。
実際に自分も、両親を送った後で「あれを訊いておけばよかった」と何度も思った方も思いました。
何がどうなっているのかを、直接訊くことができないもどかしさは身に染みて感じています。
なので相続関連の事務処理や遺品整理をするたびに「これで喜んでもらえるかな」「これで済ませてしまったけれど、大丈夫かな」と考えを巡らせたりもしました。
直接の意思疎通ができないことは、家族にとって大きなストレスです。
そのように考えると家族にとっても、先に挙げた2つの状態、つまり「亡くなってしまう事」と「意思疎通ができない事」に大きな変わりはありません。
対応策も同じように、元気なうちに早くからしっかり準備して、なにかあった時でも思いを遂げさせてあげられるようにしておくことが重要なのです。

もう一つ、家族ならではの準備があります。
それは本人の意思を受け止める準備です。
もしかしたら家族が思っていることと、とんでもなくかけ離れたことを望んでいるかもしれません。
話し合って決めたのであれば良いのですが、家族で話し合わないで決めたことの場合、どうしても納得がいかない状況も起こりえます。
なので、ある程度は本人の意思を甘んじて受け入れる柔軟性が必要でしょう。
本人不在のまま喧嘩別れになることは、残された家族にとっては悲しいことでしかありません。
末代までの後悔と禍根を残さないためにも、家族が終活に参加することを受け入れてもらいましょう。



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