泣きながら「会社辞めます」と言ったら上司が引き留めてくれた話

 先に出来事だけを書くと、「鬱になり、上司と面談した際に泣き出してしまい、衝動的に『会社辞めます』と言ったところ、上司が引き留めてくれた。感謝している」という話。これ以上の出来事はなく、これ以降は個人的な感情に関する文章になるので、そういうのに拒否感がある方は気をつけて頂きたい。


 同僚が業務中に叫びだしたり、上司がインフルエンザに罹りながらも会議出席を要請されたりと、なかなか忙しいプロジェクトのメンバーだった。そこではおそらく教育の意味もあったのだろうが、結構な量の仕事をなんとかこなしていた。だが、自己管理が甘く、毎日2~3時間睡眠、昼食を抜いてその時間働く、家に持ち帰って帰宅後も仕事を続ける、などの無茶をした結果、身体がおかしくなった。

 とくに最初は不眠がひどかった。家での仕事を中断して深夜に寝ようとしても、昼間に失敗した出来事や打合せの様子がまぶたの裏にフラッシュバックし、バチバチと脳が光で焼けるような感覚になって全く眠れなくなった。

 どうしても眠れないので、上司に相談して少しだけ時間をもらい、近場の精神科にかかった。普段の生活や会社での出来事を話すと、医者の第一声が「会社辞めなよ」だった。そんなこと言う人間は信用ならんと内心では憤慨しつつ、外面に気をつけながら対応し、睡眠薬をもらった。そこの診察を受けたのはその一度きりだった。

 会社に戻り、上司に結果を聞かれたので「不眠症らしいので薬だけもらってきました」と伝えた。辞めろと言われた、など欠片も伝える気は無かった。

 数日後、階級的に言うと、一つ上とその一つ上の上司と面談をすることになった。(因みに、先に出てきた時間をもらうために相談した上司は更にその上の上司だった)不眠の件で、現在の業務について相談しよう、ということだった。内容のこともあってか、個室での面談だった。

 初めのうちは、淡々と笑顔で対応していたと思う。不眠の様子や、現在の業務負荷などについて伝えていた。ここから先の記憶がぼんやりしているのだが、色々と伝えているうちに「ああ、自分はこの職場に相応しくないんだ。こんな能力ある人達と一緒に働けるような人間ではないんだ」という思いが一気に強くなり、徐々に鼻声になり、涙が溢れてしまった。どうでもいい話なのだが、生まれて一度も(親戚が死んだときでも)家族以外の人前では涙を見せたことがなかったので、涙を流したこと自体が、個人的には激しくショックだった。前述の思いと、涙を流してしまったことで完全に心が折れた。それで口から出たのは、なんの脈絡もなかったが「すみません、会社辞めます」だった。一人の上司がガタガタと立ち上がるような音が聞こえた。咄嗟に思ったのは「そうか、部下が辞めたら査定に響いたりするのだろうか。申し訳ないことをしたな」という事だった。

 幼い頃から「自分はどこに行ってもなじめず、爪弾きにされる。自殺をする勇気も無い。とはいえ一人で生きられるような人間でもない。だから自分は何とかして、社会にかじりついて生きなければならない」という思いを抱いていた。コンビニ、学習塾、居酒屋など、自分の不器用さを補おうと色々なところでアルバイトをしたり、心理学やお笑いなどを勉強して社会に溶け込めるような努力をしてきたつもりだった。けれど、そうやって泣き出したことで全部無駄だったんだなという思いにも駆られた。

 とにかく自分はひたすら泣きながら「すみません」を繰り返していたような気がする。それに対して二つ上の階級の上司が「ちょっと様子がおかしい。そんな状態で辞めるとかいうことを言ってはいけない。そういう状態の時は判断力が下がっているから、大きな判断はしない方がいい。この部屋はしばらくの時間確保してあるから、一旦落ち着くまで待ちましょう」と言ってくれた。早く泣き止まなければとぐずぐずになりながら深呼吸をしてみたり、少し声を出してみたりとあれこれして、ある程度時間が経ってなんとか泣き止んだ。上司二人から「とりあえず一旦病院にいって診てもらって、その診断結果を聞かせて」と言われた。それでその面談はお開きになり、自分は土曜になってから最初とは別の精神科にかかることにした。

 精神科でその話や仕事、生活のことを伝えると、「鬱病ですね。会社辞めたら?」と言われた。精神科医は会社辞めたらが口癖なのだろうかと思った。会社辞めろとは乱暴な、という思いと、でも自分もそれ言ったしな、という思いがもやもやとしていたのを覚えている。とりあえず鬱症状に合わせた薬を出してもらった。

 週明けにまた二人の上司との面談があり、鬱と診断されたことを伝えた。相談した結果、しばらくして別の部署に異動となり、業務もかなり緩やかなものとなった。

 しかし、当時は自身の自己管理の甘さに気付いていなかったため、睡眠、運動、食事のケアを怠り、鬱が悪化して結局数ヶ月後に休職することになった。

 休職に至るまでの間にも、何度も「自分にはこの会社は無理だ、辞めよう」という思いがよぎった。だが、面談の時に言われた「様子がおかしい(=鬱の)時は判断力が下がってるから大きな判断はしない方がいい」と言われた光景が思い出され、気持ちを何度も落ち着けていた。それを言われたときの部屋の様子や、上司の声は大体覚えていて、今でもよく思い出す。

 何か急に投げやりな行動をしようという気持ちが湧くと、自動的にその時の光景が思い出されるようになった。今もそのたびに思いとどまっている。鬱に関する書籍などでも同じような内容は書かれていたが、いつも思い出すのはその光景だ。

 だから、上司がその言葉を言ったときの光景は自分にとっての大切なブレーキだ。自分が急に泣き出して極端なことを言いだしたときに、咄嗟にその言葉を投げかけてくれたことには、思い出す度感謝の気持ちが湧く。同時に、ああ、泣いてしまったなあという恥ずかしさも想起されるが。

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