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「築地本願寺とお寺のDX」の登壇備忘録

葬送業界の年1度の展示会、エンディング産業展が8月31日~9月2日の3日間今年も無事に開催された。

今年は9月2日の「築地本願寺とお寺のDX」をテーマにしたセミナーにコメンテーターとして登壇。

当日は築地本願寺の方のお話を中心に、お寺のDXについて考えてみる時間になればと思っていたが時間が足りなかったので事前に考えていたことを書き留めておく。

「お寺とDX」に感じる違和感

ここで私のお寺とDX(デジタルトランスフォーメーション)についての見解を書いておきたい。

結論を先に言うと、お寺が「DX」を正しく理解せずに実践し、会社のようになっていくことを私はまったく望んでいないし、必要だとも思っていない。

このため、「お寺にはDXが当然のように必要」といった考え方や動きには同意しないし、むしろ違和感を覚える。

※この思考の背景は過去記事に記載済
afterコロナに思う、オンライン化とアウラの喪失へのまなざし

仏教界という、宗教・文化が強く根ざすどちらかというと、体験や感性といった世界観が中心にある業界に、テクノロジーや数字といった領域にあるDXが持ち込まれる。

私はそれはかなり気をつけないとお寺や僧侶がもつ、社会的資産価値を経済至上主義的な価値観に染めて、価値を損ないかねない。と思っている。

なぜなら、DXを目指してシステムを導入し、業務を効率化・見える化し、檀信徒を消費者のように扱い、顧客単価、生産性、効率性といったおよそ宗教家が目指すべきではない経済原理が働く会社のような世界観に巻き込まれ、寺院や僧侶がもつ「数字で表現できない価値」を損なう落とし穴が潜んでいるからだ。

このような状態は、はっきりいってせっかく経済原理の外にある宗教と僧侶自体の価値を下げている状況と感じている。

しかし、私が取締役を務めるせいざん株式会社はクラウド管理寺務台帳を開発しているではないか?という疑問が立つが私たちは必ずしも全てのお寺にデジタル化やDXは必要だと思っていないし、やりたいことはお寺のDXではない。

そうではなく、お寺が地域や檀信徒と通わせてきたコミュニケーションや歴史・文化という無形財産が核家族化、少子高齢化、個人化といった社会変容にあって、今の多くの寺院の意識や管理体制のままでは欠落していくことを危惧している。

つまり、寺院と地域・檀信徒の関係性をどのように再構築し、更に新たなご縁をつないで、50年100年と続いていく寺院になり得るか?に挑戦することが重要であって、そのための1つの手段としてクラウド管理寺務台帳を開発したにすぎない。

(開発にあたっては、自分たちと関係寺院の実践と結果をふまえて、クラウド管理寺務台帳に仕込んださまざまな工夫を活用し、寺院活動に取り組むことで寺院の価値向上・収入面の向上が見込める確信を得たので開発に踏み切った。)

ところで、弊社は、自分たち自身がお寺の中に事務所を置き、僧侶や奥様と共に檀信徒の出迎えや線香の火付け、お参り案内や法事法要の受付に当日案内、墓地の見学対応などお寺の業務を支援している。

また、これまで全国100以上の寺院の墓地・永代使用料・納骨堂の販売支援も行ってきているのでほぼ全ての宗派のお寺との交流もある。

なにより、一般の方や檀信徒の方から相談をうけて、法要や墓地・永代供養墓の紹介も行ってきているので寺院と一般の方との視点の違いや、考え方の乖離にも明るい。

こういった背景をふまえて、寺院の寺檀関係の構築支援を幅広く行っている弊社が「こういうものがあればもっと寺院がよくなるのに」と思って開発したのが「クラウド管理 寺務台帳」※特許申請中だ。

おかげさまでほぼ毎月新規のお問合せがあり、お問合せや説明会参加の寺院数はここ1年弱で100件を超えた。

クラウド管理寺務台帳の導入支援を通して、実際にいくつものお寺の情報整理に向き合い、寺院の課題や不安を感じながら1件1件対応している知見もある。

中には単なる管理ツールと思って問い合わせてくださるお寺もいるがその場合は、1時間でも2時間でも話してなぜこれが必要なのか?を説明している。

わかってもらえないであろう寺院については正直なところ深く追うことをせず、提供しない道すら選んでいる。

それは前述したように、「DX」というものは仏教界においては、よほど気をつけなければ知らず知らずのうちに、僧侶の思想や行動をビジネス臭を醸し出させ、結果として檀信徒や地域に嫌厭されかねないからだ。

こういった観点を自覚して正しく利用してくださるであろう寺院にしか正直なところ怖くて提供できないとすら思っているので、クラウド管理寺務台帳を通してつながった寺院とはできるだけ、システム導入後も運用方法や寺院の活動といった重要な部分のサポートもしていきたいと思っている。

お寺にDXは必要か?


全てのお寺に本当にDXは必要なんだろうか?

この問いについて整理してみたい。

お寺の檀信徒情報のデータベース化を推奨し、簡単に管理・運用できるようにSaaS型クラウド管理「寺務台帳」を開発している私が言うと違和感を抱かれるかもしれないが私の答えは前段落で記載した背景から一概にYESとは言えない。

業務内容を効率化・生産性の観点から見直し、システムを寺院に導入し、ペーパーレスにし、無駄をなくし、法要や葬儀もオンライン化して、顧客体験を向上させ、売上増につなげ、裾野を広げていく。

これらは、経済原理が強く働く企業で行われているいわゆるDXの流れをただなぞっているだけだ。

この流れをそのまま寺院に持ち込むことは、IT企業の立場で供養業界と向き合ってきた身としては、良薬ではなく、毒になる可能性が高いと強く感じている。

お寺に必要なDXとはなんだろうか?

当社はお寺から依頼を受け、HP作成やパソコンやタブレットのデバイスの選定、SNS活用、檀信徒管理体制といったデジタルを必要とする施策の他にも、納骨堂・永代供養運営や寺院の檀信徒や地域向け企画の相談まで幅広く支援を行っている。

リアルからデジタルまで各お寺に適した方法を模索し、提案、実施してきた。

その際、以下の順番で支援するようにしている。

  1. 目的を定める

  2. 必要な部分だけデジタル化する

これらを確認して、新たなデジタル化が不要であれば今あるもので改善できないか?を提案することもある。

お寺は2つとして同じお寺がなく、住職や地域、宗派など複合的な要素で成り立っているうえに檀信徒の数もまったく異なる。

しかし、仏教寺院である以上、目的は同じであるはずだ。

それは寺院本来の目的である、「仏教に親しみ、救われる人を増やしていく」という点だと私は考えている。

お寺にデジタル化、システム化を持ち込む時は、この目的を念頭に、無駄に見えて価値あることはなにか?本当に無駄なものはなにか?を注意深く観察していく必要がある。

もちろん、私が企画開発しているクラウド管理寺務台帳はこの視点を最重視しているが、その難易度の高さに頭を抱えながら、僧侶や寺族の声を聞きつつ、エンジニアに相談しながら開発している。

理想なきDXはお寺の価値をむしろ損なう

家族構成や、地域の状況、少子高齢化に価値観の多様化。

今、私達が生きる社会は、不安定・不確実・複雑・曖昧が揃った非常に先が見通しにくく、孤独感を感じやすい非常に厳しい状態だ。

厳しいだけならばまだしも、人の心に巣食う「孤独」は人生の幸福度を下げ、不安や恨み、妬み嫉みといった負の感情につながり、生きる意味が見いだせないような社会になりかねない。

このような状況にあって、仏教の視点と人・地域とお寺の関係性を起点にした歴史や文化は貴重な社会的資産価値であると感じている。

こんな社会だからこそ、寺院と檀信徒、地域が紡いできた関係性や仏教の視点や文化は価値を発揮するにも関わらず、社会変容に対応できていない寺院が多い中、価値を再構築する前に失われ、救えるはずの人を救うことも叶わず、衰退していく恐れがある。

ゆるやかに衰退を感じる寺院の多くは新たな寺業に取り組んだり、それこそデジタル化に取り組んでいる流れがある。

その中で国も推進している「DX」に飛びつきたい気持ちもわからなくは無いが、前述してきたように、「DXを実行する」が目的になっては、そもそもの思想領域が異なる「DX」を寺院に取り込むことは寺院の価値を下げることに繋がりかねない。

  • 寺院や僧侶の社会的価値とはなんなのか

  • 自分は僧侶としてどうありたいのか。

  • 自坊が存在することで誰の幸福や救済につながっているのか。

  • どんな寺院とまちと人のつながりを構築したいのか。

  • デジタル化を導入することで何を知り、何に役立てたいのか。

  • 誰のためにデジタル化が必要なのか。

など理想を考えたうえで、理想に向かっていく手段としてデジタル化すべきものはして、寺院と僧侶が地域・檀信徒と向き合っていく時間を増やし、質を高めていく方向が望ましいと考えている。

また、理想を考える際に大事なことは自分たちの「価値」や「倫理観」といったいわゆる、「美学」のような軸を持ち、その「美学」に照らし合わせて、理想を組み上げることだと思う。

「美学」なき寺院が「美学」なき理想を立て、外部の会社やサービスを取り入れたところで、結果が出ないばかりか、価値が下がる可能性が高いからだ。

「DX」に限ったことではないが、新たな概念や取組みを実行する時、気をつけなければいけないのは新たな構造や価値観、DXでいうとシステムやデータに振り回されるのではなく、あくまで手段として使いこなしていくことが重要だからこそ、軸となる「美学」を持っているまたは持ちたいと願っている僧侶がいらっしゃる寺院を支援していきたい。

まとめ

寺院はあくまで仏教を広げ、求める人を受け入れていくための拠点であり、「仏教に親しみ、救われる人を増やしていく」寺院活動において、DXは必要なのか?

そもそも仏教・寺院・僧侶の価値を掴みきれないままに、ただ寺院を継続することが目的になり、その手段としてDXを取り入れると、これもまた本末転倒でしかない。

問への答えは僧侶の数だけあるだろうし、思いの他長くなった備忘録はあくまでも今の自分の考えでしかないので、さまざまな僧侶や寺族と対話する中でより思考の研鑽を積みたい。

今回の登壇もこのような深い話ができればと思っていたがそこはやはりイベント内のセミナーなのと大きな寺院の方がお相手だったので私の持ち時間が少なく、ほんの入口しか対話できなかったのが残念。

残念がっていても仕方ないので、今週末から僧侶のみなさんとの講座やセッションが続くため、その間にこのあたりを対話していきたい。

※備忘録で数度登場した寺院や僧侶が持つ社会的資産価値については、書き出すとこれだけですごい文字数になりそうなので、今回は割愛。

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