光の寺
私がコングラント経由で月額寄付や年に1度の講師で参加させていただいている尼崎は西正寺の本堂が登録有形文化財として認められたことを記念した行事があった。運良く参加できたので記録を残しておきたい。
お寺をひらくということ
中平住職とは縁あって主に弔い関係でさまざまな取組をさせていただいている同志のような関係であり、私は一寄付者でもあるという少しユニークな関係。
中平住職や西正寺、そして寄付については過去の記事が詳しい。
上記の記事にもあるように中平住職はお寺をハブとして地域の社会的資産になるようなあり方を模索している。
私が自分の生涯の生業として寺院支援を選んでいる理由の1つもここにある。これから深刻化する社会課題は多数あるがおそらく最大の問題は孤独・孤立だと推測している。そこから生まれる社会課題が多くあるはずだからだ。
その1つの解として古くから地域に点在し、経済原理とは一線を画すお寺には可能性が多分にあると考え、寺院の課題発見・解決事業を行っている。
お寺は数は7万軒以上あり、僧侶も文化庁の宗教統計調査によると30万人以上いるらしい。
しかしその中で寺をひらき、檀信徒以外にも喜ばれる存在になっている寺院がどれだけあるだろうか。
寺院業界の取材記事や本を見ているとひらいている活動をしている寺院の事例がなかなか増えない。記者の方から「いつも同じ顔ぶれになる。取材先に困っている。」という話も耳にする。
僧侶が消極的な場合もあるし、ひらきたいが何らかの理由でひらけない場合もある。
いずれにせよお寺が簡単にひらけない側面もある中、お寺をひらくということを中平住職は軽やかに行っている稀有な存在だ。
お寺をひらくというと、若い人が集まってきたり、イベントがたくさんあったりといったイメージもあるが中平さんのふるまいは実は非常に堅実だ。
軸足が絶対的に僧侶からブレないように意識している彼は、月参りをしながら、門信徒をまず大切にしている。そのうえで、歩きや自転車で関われる距離の地域に出ていき、繋がりをつくり、お寺に招く中でゆるやかに外の風を通していく。
門信徒の居心地の良さと新たに仏縁を得た人々の居心地の良さ。その両立を意識しながら丁寧にお寺をひらく様は私の中で1つの理想形でもある。
その西正寺の本堂が登録有形文化財として認められたことは、大げさに書くと中平さんの1つの覚悟のようなものを感じた。
光の寺
2024年5月18日(土)快晴。夏日。
事前にお祝いの言葉をお送りしていたものの当日参加は無理かと思いきや、運良く登録有形文化財の記念行事に参加が許された。
いつも通りJR塚口駅から歩いてお寺が見えてきたあたりから様子が違った。お寺から漂ってくる空気が清らかだった。
式典用の飾りがされている山門をくぐって、本堂に上がると大げさでなく空気が光っていた。
きらきらという言葉がぴったりくるような、光の気配に満ちた明るい空気。
本堂はおそらくいつも以上に気合を入れて掃除されただろうし、飾りも美しく、前住職が活けたという本尊脇のお花も美しかった。でもそういう目に見える美しさを超えた光が漂っていた。
私は共感覚持ちというやつで気配で相手や場の思念みたいなものが幼い頃から少し読める。だからお寺に行けば良い寺なのかどうなのかなんとなく分かる。その勘はいつもだいたい当たる。
西正寺は初めて訪れた時から場の空気がよかった。住職はもちろん出入りする人に愛されているというのが分かったから。
でもこの日はお祝い行事だったこともあってか、門徒さんたちからあふれる笑顔や門徒ではなさそうな地域の人もそわそわしつつほほえみが絶えない。
ああ、本当に祝われているお寺だなと感じた。
それはおそらく、その場に集まる今を生きるみなさんの祝いはもちろんのこと、今までこのお寺を出入りし、守ってきた人々の想いも宿って祝われているような、なんというか過去にも何度か経験した次元を超えた場が持つ特有の高揚感があった。
門徒総代さんたちであろうみなさんが笑顔で受付や配膳、導師入場の手伝いなどをして本当にみんなで守っているお寺で、その基盤のうえに中平住職の寺をひらく活動はあるのだと痛感もした。
建物が古いから価値があるのではなく、西正寺を介して阿弥陀様に手を合わせ、お勤めを介して祈り、弔いや行事を通して交流交歓してきた時間の積み重ねが染み渡った本堂だから価値があり、その価値を中平さんは遺したかったんだろう。
そしてそれを契機に宗教離れ、門信徒の高齢化、生活者の孤独・孤立化や貧困化が現実問題としてある中でこれからのお寺のありようを見つめ直すのだろう。
光に満ちた本堂で門徒さんたちの笑顔を見ながらそんな風に推察した。
お寺をひらくことは地域社会の役に立つということ
記念講話でお越しになった八幡さんのお話は素晴らしく、中平さんの想いものって私の琴線に触れた。
彼女はお寺で地域の子どもたちに「食」を通して支援を行う「テンプル食堂」を一般社団法人「えんまん」を母体に行っている。その活動が今年のお正月におこった震災の救援活動にまで広がっていった貴重なお話を聞けた。
活動については以下が詳しい。
「阿弥陀様は否定されない。私たちのありのままを肯定してくださる。性別、年齢、肩書関係ない。許され、支えられ、生かされているに気づく。そして、次世代を担ってくれている子供たちに何を大人がつたえていけるのか。」
八幡さんの行動動機はとても宗教者らしかった。純粋に、お寺という場所を、阿弥陀さまの教えを多くの人に広げたい。そのためにはまず地域の人の困り事に向き合っていきたい。
そうして、広がった活動の中で知り合った支援者のみなさんにとっても「私はここにいていい、必要とされてる」という実感を得るいきがいを与え、多いときは街の人口より多い400名が集まるという子供たちには「また来たいですか?」のアンケートで「いいえ」の回答は0件。
正座してお経を読むなどなれない子どもたちからすればしんどいこともあるが、「また来たい」お寺に令和の今もなれるのだと八幡さんは言う。
そうして、こども食堂をきっかけに繋がっていたお寺関係者以外とのつながりをたくさんもっていたから地震の時にたくさんの助けと支援が集まり、地域の支援に積極的に関わることもできたのだそうだ。
「阿弥陀様のご縁がみちみちている」と八幡さんはおっしゃった。檀家さんの把握をし、それぞれが得意とすること、できないこと、こまってることを知り、地域の困り事を共有できる空間とつながりを阿弥陀様の見守りの中、作りながら門徒さんの協力と理解を得ながら行った活動が「まさか」でおこった正月元旦の地震の危機を乗り切る土台となった。
「阿弥陀さんはありとあらゆる願い祈りを聞いてくださる。共に泣いてくださる。あなたを仏様にするお念仏。あなたをひとりにしないお念仏。願ってないものを与えに与えてくださるのはなぜ?阿弥陀様は決して目をお離しにならない。理解できないくらいのありたがいものを私たちはいただいている。」と八幡さんは言う。
その動機は最近よくある「お寺を残すための新規寺業」や「世のニーズに応えて新しいことがしたい」とかそんなものではなく、純粋な彼女の信仰心から生まれていて、その純真さに涙が出そうになった。
最後は「役所には住民かどうかで区切りがある。住民しか恩恵がない。でもお寺は誰しもの場所。誰もが主役になれる居場所がお寺。縦も横もないみんなが主役。ありがたいお念仏もいただける。性別・年代・肩書関係なく、こんなお寺にしたい、居場所にしたい。そんな声を中平住職へぜひ。」という素晴らしい言葉で締めくくられてた。
中平さんの最後のあいさつでは「阿弥陀様の御本で思い出と記憶が織りなされた大切なお寺を、今回の登録有形文化財を機に次の世代つなぎたい」とあったように、やはりお寺の軸はあたりまえだが信仰心であるべきだと確信した。
その想いが強ければ強いほど核となり、人が集まり、温かな光がたくさん生まれて、地域にその光が届けば結果的に必要とされるお寺になるんだろう。
寺院支援を生業にしている身として自分の目指すところは間違っていないと確信を得られたありがたい時間だった。
西正寺のみなさんに心から感謝を。
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