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一人の男性と長く付き合う? 奈良の文化を考える

昔、職場の先輩が「10人の男性と付き合う」と「1人の男性と10年間付き合う」を並べて話してくれた。(10人ではなく100人だったかな?)

行き着くところは同じ、なのか、何か違う、だったか忘れたけれど、この例え話、時々思い出して、年を経るごとに興味を持っています。

もちろん、たくさんの男性と付き合う方が「経験豊かで、華やかで、いろいろ知ってる、男心も分かってる!」よう。

それを男性1人だけの付き合いと比べるって一体、何?何?

この比較、何なのでしょうか。

話を進めると、この例え、恋愛以外に使えて、なかなか深いと思っています。自分の知らない世界の想像、例えば伝統芸能、特に古典芸能の世界。

その道一筋の方の人間観察の鋭さや、物の見方、情報収集能力や判断の端的な早さは、触れるたびに姿勢を正されるというか、本当にすごいと思うばかり。同じことが、職人一筋何十年とか、家の仕事一筋何十年のおばあちゃま、とかにも言えて、1つの世界に生きる方の話は、聞くたびに同様の驚きがあり、感動します。

そういう凄さは、一流経営者や、アーティスト達にも伝わるようで、世界を舞台に第一線で活躍する人たちが、田舎のおばあちゃまと一気に心を通わせ合ったり。これって、経験豊富(男性と数多く付き合う)と、長年1つの世界(1人の男性と付き合う)の例えが、何か通ずるのではないでしょうか。

さて「奈良」の話。

奈良は、1人の男性と長く付き合う例えの方の場所です。

絶対的に人や物の流出入が少なく、情報量の少ない土地。表向き、時代の生活様式に合わせて変化しているようでも、変わらない場所です。日本で類のない宗教都市として、経済発展しているのかしていないのか・・・・・・目に見えない部分が多くあり、説明のしにくさに、私はずっと困ってきました。この地に暮らすと、結局のところ、五穀豊穣、子孫繁栄がすべてなのではないか、と、これまた乱暴な言い方ですが、時々湧き起こる実感で、何とも言えない気持ちになります。(京都は宗教都市ですが、違う文化をたくさん持っていて、また別の感覚)

心に聞こえてくるのは「人間、いつの時代もそう変わらないもんやで」との親戚の叔父たちの声。自分たちは変わらない自信、自分たちは世界が狭くて何も知らないという謙虚な気持ち。(謙虚さが表現できているかは別にして)

それでも今、生きて、何かしている。

そんなもんだ。人間よいものだな、と、人を敬う温かさが、心の底にあるように思います。

私の好きな奈良の1つです。

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