好きなもののはなし☆新しい漫才って何?のはなし
新しいって結局「タイミング」だなってはなし。
私が思う基本型
私はネタ番組が昔から本当に好き。そんな中でよく、ベテランの芸人さんが若手芸人さんのネタを見て「新しい」っていう表現をよくしますね。
でも、新しいっていう表現がよくわからなかったりします。新しいとか古いってあるのだろうか?
フリ→ボケ→ツッコミ→戻し
基本はこれを繰り返せばネタってできると思うのですよ(おもしろいかどうかは別として)
フリ「好きな楽器なんですか」
ボケ「ちくわです」
ツッコミ「それ楽器じゃないやん」
戻し「楽器っていうのは音を奏でる道具やから」
漫才ってこの構成がずっと続いていくものだと認識しています。
漫才ってテンポとか間とか核となる部分があるので「ネタ」に話を絞りましょう。漫才の「ネタ」を洗練していくには4つそれぞれの区画をよくしていくしかないと思いますね。
漫才を見ていて「ボケ」の部分に脳が揺さぶられる人はきっと大喜利とか向いている人で、お笑い脳なのでしょう。
近年のオーソドックスなネタはツッコミが笑いをとるパターンが増えてきて、当時新しい形と言われていた気がします。
例えばくりぃむしちゅーの上田さんの例えツッコミなんかはその最たる例ではないでしょうか。
フリとボケの重要性と難しさ
あと、フリですよね。フリが丁寧だとボケが効きやすいので。でもフリが置きすぎているとボケのハードルがあがるといいますか。
例えば、今からボケますよーって言うのが聞き手に伝わりすぎると意外性がないわけで。ボケるぞー、ボケた。みたいな。
私が思うボケとは「えーーーー!」とか「あーーー!そうか!」とか「なんでーーーー!」とか「でたーーー!」「やっぱりーーー!」っていう感情にする一言ですよね。
「そのリュックサックに何が入ってるの?」
(ボケそうやな…)
「レンガですけど」
(やっぱりボケた)
ボケることがバレてしまうと「えーーー!」感が薄れてしまいますよね。
新しいと呼ばれてきた漫才の形を振り返る
基本的にお笑いのネタって「えーーー!」をつくる作業だと思っているので、利き手の感情をどの部分で作るかという点が新しいか古いかを決めていると思うのですよ。
昔オードリーさんのネタが新しいと言われていましたよね?
「最近引っ越しをしようと思うんですけどね」
「なんでだよ!」
「今なんでツッコまれたかわからないんですけど」
「うい」
4コマで表すとこんな感じですよね。
笑いのタイミングずらしてますよね、まさにズレ漫才。
今回のM1で注目されていたぺこぱ。
「タクシータクシー」
「ドン!」
「痛ぇなーなにしやがんだよ!…って言えてる時点で俺は元気だっ!」
「時を戻そう」
笑いが来るタイミングはツッコミの部分ですね?(ツッコまないというボケ)
見事にずらしています。この漫才も新しいって言われていましたね。
あとはハライチさんもツッコミの部分に笑いのタイミングをずらしてる。ハライチさんはあと、フリがほとんどないところも新しい。
新しいって思われるための方法論として、時間の軸をずらす、笑い(笑わせる)のタイミングのずらしは結構効果的なのではないか?
ひとつの方法論としての仮説でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました(*^^*)
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