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地区学って何

 こんにちは。seiyafukunagaです。夏も終わりに近づいてきましだがまだまだ残暑が気になるところですね。感染者も増えてきていますので、今一度感染対策を徹底したいところです。

 さて、本題に進みたいと思います。あなたは地区学を何かご存知ですか。名前だけなら聞いたことがある、初めて聞いた。などなど、あまり聞き慣れない言葉なんじゃないでしょうか。なので何をしているのかなんて全くわからない。興味がないというかもしれませんが、現代社会において様々ないじめや差別が様々な形で表現される様になってきました。

 このいじめや差別というのはもちろん最近始まったことではなくて、昔から日本国内、世界で起こっている重大な問題であるということはご理解いただけるんじゃないでしょうか。

 これらについて、皆と話し合い解決するための方法は何なのか、私たちには何ができるだろうか。という活動をしていたのが地区学だということを頭の片隅に置いていただいて、以下の文章に目を通していただけたらと思います。

 僕が小学生の頃、毎週金曜日の夕方いつも通り学校の授業が終わり全員が帰る中、僕たちの地区だけ公民館に集まって先生たちと様々な活動をしていました。

 なぜ、僕たちの地区だけというのは後々明らかになります。

 当時はまだ小学一年生、何もわからず放課後公民館に集まって先生たちと宿題をしたり、近くの公園に行ったりして遊んでいました。基本遊んでいたので楽しかった記憶があります。自分たちの地域を探検したりしていろいろな発見をして楽しんだ記憶があります。

 この頃は金曜日の放課後公民館に集まってみんなと活動をするというのが当たり前と感じていて、なんの疑問もなく集まってました。同じ活動仲間ともより仲良くなれた気がしますね。

2年生、3年生もいろんな活動をしながら過ぎていった気がします。自分の地域のお寺や神社に行ってお話を聞いたり、自分の地域の職場に行って仕事を体験させてもらったり楽しく過ぎていきましたね。

 年に一度、地区学発表会というものがあり1年間の総まとめの様な発表会で小学校のみんなに1年間の活動を聞いてもらいました。

 これまで1〜3年生までいじめや差別についてはほとんど触れていませんでした。僕たちの時代は小学校でもその様な話はなかったですね。今の小学生はわかりませんが、もしかすると低学年の頃からなんらかの形でいじめや差別について触れているかもしれません。

 その様に考えると今の小学生は羨ましいと思いますね。このいじめの問題は学んでおいて損はしないからです。どの年代で学んでも答えは同じでいじめはダメだという答えがほとんどだと思います。

 自分の知らないうちに誰かを傷つけているかもしれないと考えると恐ろしく感じますよね。

 低学年の頃は少し難しい問題かもしれませんが、問いかけを変えたり、分かりやすい何かに例えると伝わる問題でもあると感じています。結局は伝え方の問題ですね。

 僕は4年生になる頃に本格的にいじめや差別について学び始めました。学校ではなくて地区学で初めて学びました。そして自分の地域が差別に合っていたというのも、ここで初めて聞きました。人ではなくて地域と聞くと少し疑問に思うかもしれません。

 具体的には僕の地域は部落という地域でした。今では全くその様なことは無くなりましたが、昔は人1人を差別するのではなくてその地域全体を差別していたんですね。
 どこからその様なことが広まったのかは分かりませんが理由もなくいじめられる、差別される。

 『部落差別です』

 当時は周りから冷たい目で見られ、他の地域の子達からいじめられたり差別され友達ができない。自分の地域の子達で集まることしかできなかった。これが地区学の始まりです。それが今日まで残っており、いじめや差別をなくすためにはどうすればいいか。その大きな課題に向かって活動し続けているのです。

 今では他の地域の子達も参加してくれるなど活動が広まっていますね。僕たちの地域から見ればとても心強かったです。

 このように僕の地域が差別にあっていたと書きましたが実際のところ、自分が生まれてからその様なことはなかったです。生まれる頃にはその様なことは消えていたみたいですが、おばあちゃんやおじいちゃん世代の人たちの頃はまだまだ消えていなかったみたいです。

 この活動中に実際に当時の話を聞く様なこともありました。当時は他の地域の子の家に遊びに行っても家に入れてもらえなかったり、学校の休み時間に遊びにいれてもらえなかったりしていたそうです。
 中には先生にも差別されていたという人もいました。自分だけ理由もなく怒られたり、何かあると自分のせいにされた。などとにかく昔は酷かったという話を何度も聞きました。
 体験談を聞くと現実味が増してきます。今ではもうその様な話をしてくれる人は減ってはきていますがどの様な形であれ、いじめや差別はまだまだ残っていて消えることはありません。

 水平社宣言と荊冠旗。この言葉をあなたは聞いたことがありますか。

『人の世に熱あれ。人間に光あれ。』これは有名な言葉です。いじめや差別をなくすための活動をしている全国水平社。この様な団体が存在していることを知っている人が意外と少ないのです。

上記に示している写真が荊冠旗です。初めて見た時は全く意味が分かりませんでしたが、話を聞くと納得できたのです。

 それぞれには意味があり、背景が黒色なのは様々な差別を意味している。そして赤色は力強く差別を無くすという意思表示であるということ。皆が一丸となり差別をなくすという意思を持つことが大切であるということを示しています。円から外側に向けられたトゲと内側に向けられたトゲがあります。これは他人に向けたトゲと自分自身に向けたトゲと解釈しました。
 この様に考えると、外側に向けられたトゲは他人になります。周りでおこっている差別に立ち向かう。絶対に許さないといったことを示しています。内側に向けられたトゲは自分自身の中に差別を許してしまっていないか、見逃していないかという自分の甘さを絶対に許さない。というようなことを示しています。

 これらの考え方は人それぞれであり答えはないのかもしれませんが、僕は内側に向けられたトゲに対して何か感じるものがありました。差別やいじめというのは自分自身では気づけない場面が多いです。自分はその様に思っていなくても相手は傷ついてしまったり、ふざけ合っていただけなのに度が過ぎてしまって相手を傷つけてしまっていた。あなたにもこの様な経験はありませんか。気づきにくいからこそ自分に矛先を向けてみる。これが大切なんです。いつまでも知らないふりをしていては一生気づけないかもしれない。指摘してくれるかなんて分かりませんし、知らないうちに相手を傷つけていること自体わからない。だからこそ、いつでも自分に矛先を向けて自分自身と向き合ってほしいと感じます。

 一つの発言、行動が相手を傷つけていないか。差別やいじめにつながらないか。考えることができれば事前に行動できると思います。物事をこの観点で捉えることができれば、差別やいじめにつながる言動は事前に自分の中でロックされ相手を傷つけることは無いでしょう。これが相手を守ること、そして自分を守ることにもつながると思います。

 上記に記させてもらった内容が僕が小学生の頃に学んだ内容です。少し難しく、内容がどこまで自分の中に吸収されていたのかと言われると、全てを理解出来てはいないと思いますがこの小学生というタイミングでこの話をより深く学べたということ、学ぼうとした事に深い意味がありました。

 中学生になるともう少し深い話し合いができる様になりました。その記憶はまたのタイミングで書き記すことができればと思います。

 あなたはこの文章に目を通して何を感じましたか。自分の幼少期は何をしていたんだろうか、全国水平社なんて知らなかった。などと何か感じた部分はありましたか。

 最後にこの長い文章で何を僕が伝えたかったのか、それは自分の心の中を見つめ直してほしいということ。そして差別・いじめはダメだということです。全てはこれに繋がってくるのではないでしょうか。

 最後まで目を通していただきありがとうございました。
あなたのプラスになりますように。願いを込めて。
                          seiyafukunaga

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