見出し画像

ここちよい風が吹いている場所。

『ここちよさの建築』のこと

大学とかで専門的に学んできたわけでもないのだけど、ずっと興味を持っている分野がいくつかあって、そのうちのひとつが「建築」です。

と言っても、気になる建築家の本を読んだり、旅行にいったときに有名な建築を見に行ったりする程度。それでも10年以上そういうことを続けていると、国内の有名な建築家の名前などはそれなりにわかって、建築を学んできた方と話すと「よく知ってますね」と驚かれたりします。

でも、それだけなんだよなあ、と思ってしまいます。
自分が今しているのはただの知識の羅列であって、本当にやりたいのは建築をもっと深く理解し、その建築が構成する空間で自らが経験したことを言語化することです。
そのためには、やはり専門的・体系的に建築を学ぶ必要があるんじゃないか。

どこか社会人でも学べる専門学校にでも行こうか、でもそんな時間もないし、そもそも建築家になりたいわけでもないしなあ、などと近頃はうだうだ考えていたのですが、そんなときに書店で出会ったのが『ここちよさの建築』(光嶋裕介、NHK出版)でした。

この本は4章構成になっていて、特に印象的だったのが後半の3・4章でした。

3章「空間を身体で感じよう」では、建築を読み取る際の基本は「用(用途)・強(構造)・美(意匠)」であるという従来の観点をふまえたうえで、「ここちよさ」から建築を読み取ることを提唱します。

実際にその空間に「自分」の身を置き「自分なり」の心地よさをみつけること。「自分」というところを強調したのは、その空間を経験するのはあくまで個別の身体であり、それは(当たり前ですが)人によってちがいます。だから、そこで読み取られるのは「用・強・美」の観点における普遍的な事柄ではなく、きわめて個人的なものになります。

空間のスケールを意識しながら、自らの感覚を点検し続けること。ここちよく感じる/感じないという自分なりの反応をその都度たしかめること。そうした小さな経験を自分のなかにストックしていく。それはまさに、空間との対話を通して自分自身の身体を知っていくことにつながるのです。

前掲書 p.81

第4章では、ここちよさを通して建築を読み取るという経験を「住む」ことにどう活かしていくのかというアイデアが書かれています。7つのアイデアが紹介されているのですが、そのどれもが肩肘張ったものでないところがとてもいいです(「ホッとする」「好きなものをあつめる」「愛着を持つ」など)。なかでも、わたしは最後に紹介されている「他者を招く」というものに目を惹かれました。

他者の視点によって自己が変容し、さらに他者にもその変化が伝播する。連鎖する相互作用、それもここちよさの一つなのです。

前掲書 p.102

自分がつくろうとしている私設図書室も、こんな相互作用が起きるような空間にしていきたいと思っています。自分にとってのここちよさが、誰かにとってのここちよさになるということは考えただけで鼻血が出そうなほどワクワクしてしまいます。

この本を読んだ後では、自分が今まで考えていたように「専門的な知識やそれを語るための語彙というものが建築を深く理解する上で必要不可欠なものである」ということは、少し違うのかもしれないと思えてきます。
建築は外から客観的に捉えられるような一面的なものではなくて、その解釈は個々人に自由に開かれています。
大切なのは、著者の言葉を借りるなら「身体の感覚を開くこと」、そしてそのためには「無防備でまっさらな状態になる必要」があります。もしかしたら、そこでは知識は足枷にもなりうるかもしれません。

河井寛次郎記念館のこと

わたしが愛してやまない建築のひとつに、京都にある河井寛次郎記念館があります。
民藝運動の中心人物として知られる陶芸家、河井寛次郎の自邸兼仕事場を美術館として公開したものです。敷地内には登り窯もあります。そして、驚くのは建物の設計を河合本人が行ったということ。この時代の芸術家というのはなんでも自分の手でやってしまうものだったんでしょうか。

京都に行くときには、可能なかぎり足を運ぶようにしています。館内には河合がデザインした家具や蒐集物たちが並べられています。それらがどれも、うまく言えないのですが、「あるべき場所に収まっている」という印象を受けます。その有り様には「秩序」という言葉が思い浮かぶのですが、だからといって、こちらを緊張させるような空気はなく、逆にいつまでもいたくなるような気持ちのよさが、そこにはあります。
訪問した際にはいつも展示をひととおり見た後には建物か中庭で何をするわけでもなくぼーっとしてしまいます。そして、その時間が最高にここちよいです。

この建物を友人に紹介したところ、先日訪問してくれました。
感想を送ってくれたのですが、そのなかの一言が素晴らしいものだったので、勝手に紹介させてもらいます。

曰く、

「風の吹き方も好きでした」

これです、これ。
わたしもこういうことが言いたかった。

彼女はまさに、ここちよさから建築を読み取るということを体現しているのではないかと思います。

自分が建築を通してやりたいことは、ある建築空間で、考えたことや、感じたこと、想起されたこと、それらのごく個人的な事柄を誰かと共有していくという行為なのかもしれません。
そして、その先に、自分のここちよさと誰かのここちよさがつながるような空間がつくれたらいいなと思います。

というわけで、建築をああだこうだ語る仲間を募集します。みなさまふるってご参加ください(?)。

ともあれ、京都に行った際には河井寛次郎記念館にぜひ足を運んでみてください。
風の吹き方がいいんですよ。

河井寛次郎記念館。最近行けてないので、行きたい。

とてもいい本だった。「学びのきほん」シリーズはすごく好き。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?