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自己評価について

 サカナクションのボーカル、山口一郎はずっと自分が本当のポップスをやれていないことに悩んでいたらしい。それを先輩であるユーミンに相談すると、彼女に驚いた顔で「アンタはもうポップスをやってるのよ!」と言われ、そこでようやく素の自分が作り出す音楽が、ずっと自分の目指してきたものだったと気がついた。

 自分がほんとうに何かを上手くをやれているかどうかは主観的にはまず分からない。むしろ、自分自身で上手くやれていると思うものが微妙であることはよくある話だ。つまり、真の自分の能力というのは他人からの見た自分そのものだ。周りがすごいと思えば、それはすごい。あのマイケル・ジャクソンでさえ「スムースクリミナル」のあの傾斜ギミックはぜんぜん角度が浅くてダメだと思っていた。けれども、今や誰もが彼のダンスを評価している。つまりそういうことだ。

 しかし、他人からどう見えるのかを気にしすぎるがあまり、本当に自分が好きなこと、やりたいことができなくなるのはとんでもない損失につながる。人から評価されたいがために、〇〇をやる、〇〇をやらない、のような選択方針に走るのは、短期的にはプラスかもしれないが、長い目で見るとそれは自分自身のアイデンティティを失っていくことになる。だから、まずは他人からどう見えるかを気にせずに精一杯好きなこと、上手くなりたいことをやりきる。この意味では、自分自身を貫くために他人の期待を裏切るのは全く正当だと言っていい。

 僕もまた、人と英語を話すときには自分が本当に英語を話せているかどうか自信がなかった。しかし、海外カンファレンスで自分の英語はまだlimitedなんだというと、他の人から「オマエ、充分英語を話せてるぞ」と言われ面食らった。僕はずっと英語を話すのに必死だったし、もちろんネイティブスピーカーからは程遠い英語を話していると自分で思っている。でも、世の中はそんなにシビアな目で僕のことを見ていない。とはいえ、自分自身を厳しめに評価するというのは、なんだかんだ悪くないものだ。

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