正しい行動とは、幸福追求である。

・基礎文献


・本文

正しい行動とは、幸福追求である。


組織体は、行動(稼働)時に、《補強されたベクトル》=目標=価値基準を実在化させる。

例えば生物では、これに《子孫繁栄》があたる。

組織体が機能的な作業として行う、(自己の行動内容も含めた)世界の物事に対する評価(正誤、良し悪しなどと言い換えられる、基準に照らした分別)とは、このような、ある《目標A》に照らして、内在的・各個的・局部的に為されるものである。

「正しい行動」とはつまり、「目標の達成度=幸福度を、より高める行動」のことであり、また、その意味内容での換言なのである。

用語を分類し、説明するなら、[真偽]は、物事の実在性の有無それ自体に対する分別であり、[良悪・正誤(などと換言されるそれら)]は、ある《目標A》=《補強されたベクトル》に対する順逆の値……、つまり価値性に対する分別なのである。

「正誤」の用語は、実在性・価値性どちらの意味でも使用される通例があるが、『どのような行動がより良いものなのか?』という幸福学(経済学)的な問題についていう「正しい行動・行動の正しさ」に対してなら、その実在性の有無、それ自体ではなく、それが有るうえで、価値性の程度がどうであるのか、という分別について究明するのが、妥当的・本質的である。

何故なら、「行動」それ自体の実在性の有無がどうか、という[真偽]についてのことだけが扱われるのであれば、それが有るうえで、さらに「正しい」ものであるのか否か、という[正誤(・良悪、などと換言されるそれら)]については扱われないことになってしまうため、ひいては価値性についての問題解決が図られず、「正しい行動」とは何か、についての究明も行われないことになってしまうためである。

そして、基礎文献にある通り、目標の達成度=幸福度であるので、「正しい(より高価値な)行動」とはつまり、目標達成の実行=幸福追求である。

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