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はじめて借りたあの部屋

12階建の9階。南西向き。角部屋。
144平米2LDK。そしてこの国ならではのお手伝いさん用の部屋も付いていた。
バンコク市内の中心地。
明るい光が差し込むリビングルーム。
大きな窓からはバンコクのビル群が見え、
真下を通るアソーク通りには爆音をあげて走り抜けるトゥクトゥクや黒煙を撒き散らすバス、そして象も通った。
近隣の邸宅の庭に茂る木々の緑とブーゲンビリアの色彩が鮮やかで、それらの木々の間を自由に走り回るリスたちの様子もよく見えた。
ゆったりした間取りの室内はチーク家具の雰囲気もあいまって、なんとも南国情緒漂う空間だった。
家賃4万バーツ、その当時のレートで12万円。
2001年。マクドナルドの時給が20バーツだった時代。

18歳の学生が暮らすはじめての部屋にしては未分不相応なその部屋は
「はじめての海外一人暮らし。安全はお金で買いなさい」と言って父が家賃を負担して借りてくれた部屋だった。
仕事で忙しい父に代わって母が日本から同行してくれて、一緒に何件か物件を見て周り、一番印象の良かったここに決めた。
すぐに通い始めるタイ語学校、シーナカリンウィロート大学の通用門のすぐ前で、通学にも便利だということも早起きが苦手な私には大きなポイントだった。


この部屋に日本から持ってきた2つの大きなスーツケースを持ち込んで、
私のタイ生活が始まった。


私のはじめての一人暮らし。
はじめての海外生活。

不安よりもこれから始まる新生活への期待感やワクワクの方が大きかった。
部屋に飾るグリーンやオブジェ、調理器具に掃除道具。
ひとつひとつ自分好みのものを買い揃えていく作業は楽しかったし、なんだか少し大人になった気分にもなった。

ところが備品も揃い、ここでの生活もやっと落ち着いて来たなという頃、この部屋の欠点に気がついた。

広い。
広すぎる。
広すぎて、ひとりで居ると「ポチーン」感が半端なく、寂しい。

そんな時に出会った相棒1号。
知人に連れて行ってもらったマーケットで、当時タイで流行っていた品種のモルモット。
茶色くて小さくてふわふわのその小さな毛むくじゃらにタイ語で小さいという意味の「レック」と名付けて家に迎えた。
こんなに小さな生き物でも不思議なもので、話し相手にもなるし、手に乗せて撫でてあげると喜んでくれて、
レックはその後私が日本一時帰国中に預けた動物病院で死んでしまうまで、1年ほど私の相棒として癒してくれた。





そう。
私のタイ生活の始まりは、こんな始まりだった。

あの時から19年…私はまだ、タイに居る。
とりあえず1年間は頑張ってみると決めて日本を発ったあの時は、19年後もタイにいるなんて、想像さえも出来なかった。
当時を振り返ってみると、あの部屋をタイ生活はじめての部屋に選ばなければ今日に繋がっていないであろうと思うほど、あの部屋を選んで良かったと思う。

今のところこの国には永住の予定だから、まだまだ続くタイでの暮らし。
70歳位のおばあちゃんになっても、「タイ暮らしはじめての部屋」としてあの部屋を懐かしく思い出すんだろう。

不安なこと、心配なこともたくさんあっただろう新生活の始まりに、
そのマイナス要素をあまり感じず安心して暮らせる場所を作ってくれた両親。
今でも感謝している。
ありがとう。



最後に、もう時効だろうから白状するけれど、実はこの時、父に少し嘘をついていた。
いくら「安全はお金で買いなさい」と言ってくれた父でも家賃4万バーツと伝えるとさすがに贅沢だと反対するだろうからと、母と相談の結果、3万バーツと少し割安の金額を伝えたのだった。

19年ぶりの懺悔。
父もこれを読むだろうけれど、もう時効だから許してね。ペロ。




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