高円寺酔生夢死 第三回

『学園戦記ムリョウ』を制作中だったから、あれは2000年の夏頃だったと思う。南口のルック商店街の青梅街道側の入り口付近、今は帽子屋になっている所にその店は開店した。

サトウは当時、新高円寺に住んでいたが、ある時JRを利用すべく、青梅街道を横断してルック商店街に入った。ふと見ると、中南米ぽい男性たちが小さなテナントを囲んで何やらにぎやかにしている。思わず足を止めてまじまじと眺めてしまった。

「おっと、これは?」

男たちは軒先のテントに絵を描いていた。上手い下手はともかくも、皆描いているのはルチャリブレ(メキシカンプロレス)のマスクのイラストだった。マスカラスやドスカラス、あとは何だろう……。

ふと中の一人が、こちらを向いてニヤリと笑った。どこかで見たことのある顔だよなあ、と思っていたが思い出せない。「あなたは誰ですか?」なんてことをいきなり聞くことはさすがに出来ずにその場は離れた。そしてその日の夜のマッドハウス、吉松さん(ムリョウのキャラクター・デザイン)の買って来た週刊プロレスを読んでいると、あのニヤリな男の写真が載っていた。

「グラン・シークだ!」

グラン・シークは、当時みちのくプロレスや大日本プロレスに出場していたメキシコ出身のプロレスラー。何でまた高円寺でペンキ塗りをしているんだ?数日後、再びルック商店街を通った時に疑問は氷解した。

『プロレスラー・グランシークの店』

そう日本語で書かれた看板と、タコスの匂い。店先には愉快そうに笑っているグラン・シークと仲間たち。当時のルック商店街の青梅街道側は今ほど雑貨屋や古着屋が多いわけではなかったので、かのタコス屋はかなり浮いていた。もちろんいい意味で。通りかかる度に店先ではシークがギターを弾き、歌っていた。地方のプロレス巡業でも『グラン・シークの歌謡ショー』なんてことをやっていたから結構いい歌声だった。タコスの味は……食べてみたかったのだが、ちょうどムリョウの立ち上げでドタバタしていたので高円寺で飲み、ということ自体がなかなか出来ずにいた。

「まぁいい。落ち着いたら行けばいい」

そして月日は流れ、翌年の秋に『学園戦記ムリョウ』放映終了。気がついたらタコス屋は無くなり、テナントは帽子屋になっていた。高円寺では瞬殺な閉店はよくあることだが、残念だった。

今でも思い出すのは夏の午後。タコス屋の前ではシークがギターを弾き、女性が一人踊っていた。折から弱い雨が降り続いていたが、他の仲間たちも笑顔で声援を送り、手拍子を打つ——。

サトウにはその時、虹が見えた。

もちろん虹が実際あったわけではない。華やかさと鮮やかさが、そこにはあったのだ。JR駅前では昔から弾き語りや楽器演奏をしているグループ、或いは個人が多いけれど、あの時のグラン・シークとその仲間たちのような光景にはなかなかお目にかかれない。あれはひょっとしたら制作に疲れたサトウの見た、ひと夏の幻影だったのかもしれない。それならそれで楽しい幻だが。

行こうと思っていた店がいつの間にか無くなってしまうことが、とりわけ高円寺は多い。多いのだけれど、琴線に触れたまま行かずじまいの場合、ふとした拍子にその店を思い出すことがある。軒先のたたずまい、看板の文字、その他のイメージ……。例えばこのグラン・シークのタコス屋のように。店先にイスを置き、シークはいつも日本人女性を抱き寄せにこやかにキスをしていた。その女性が実は奥さんだったと聞いたのは後日しばらく経ってからである。雨の日、ルック商店街の帽子屋を通る度に、あの時の「虹」を思い出す。

どんちゃん騒ぐのは楽しい。しかし騒いでいる様子を傍から見て楽しく思えることはなかなか無い。そんな飲み方をいつかはしてみたいと思う。

グラン・シークと仲間たちは今、一体どこにいるのだろう?

(2007年7月4日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)