高円寺酔生夢死 第一〇回

世の中にはローカルルールというものが存在する。一般的ではないかもしれないが、身の回りではそういうことになってるんで一つ宜しくという。高円寺に限らず、飲み屋では当たり前なルールの一つに「姐さん」「兄さん」というのがある。サトウが気づいたのは4歳の頃。当時、爺さんの膝の上でサトウはいつもTV時代劇『素浪人花山大吉』を見ていた。花山の旦那が居酒屋にやって来て、酒やつまみを頼む時に、あきらかに年上な女性に対し、大吉はこう言った。

「姐さん、酒とオカラだ!」

その後の話でも年に関係なく女性に対して花山大吉はこう言った。

「姐さん、酒とオカラだ!」
「あいよ」

——なぜ姐さん?おばさんやおばあさんを姐さん呼ばわり?

後年、サトウは何気に父親に聞いたことがある。居酒屋のスタッフを姐さん兄さん呼ばわりするってのは、何か意味があるの?と。その時の親父の回答は、「見ず知らずの人間たちが集まっているところで気持ちよく飲める方便だ」というものだった。その方便というヤツ、当時はよくわからなかったのだが、実感として理解したのは実際に居酒屋に行くようになってからだった。

基本、居酒屋で注文をする時に店の人を何と呼ぶか?別におじさん、おばさんでいいじゃないかという人もいるかもしれないが、呼ばれる側としてはみんながみんな、それで構わないというわけではない。飲食の仕事というのは一種非日常的な空間なので、働く側としてもそういった雰囲気に浸っていた方がやりやすい。逆に自身で店を出している場合、「おやじ」「おばさん」扱いを受けてもあまり気にならない気にしないという人が多いのは、その店で過ごす時間が本人の日常だからである。要するに納得ずくなのだ。対して雇われて働く立場としては、飲食は副業的な位置づけ(いわゆるバイト)で考えている場合が多いので、ある意味「もう一人の自分」…極端な言い方をすればフィクションの世界に身を置いていると考えている人も多いのではないだろうか。彼女がバイトをしている店を覗きに行ったら「あまりにも普段と違うので驚いた」なんて人もいるだろう。いつもと違って明るくてフットワークも軽くて…何でなんだ、そんなにオレといるのがつまらないのか、などと要らぬ心配をした人もいるだろう。普段のモロモロを一切シャットアウト出来るからこそ飲食やってるんだ、なんて女性もいる。つい最近、某店の名物店員のMちゃんが若い客をつかまえて軽く説教をしていた。

「飲み屋の女性を『おばちゃん』扱いするもんじゃないよ。女はいつでも夢見てるんだからさ。兄さんたちも息抜きで来るんでしょ?他所でも気持ちよく飲みたいんだったら、どんなお婆さんでも姐さんと呼びなよ」
「そうか、だから時代劇で『姐さん』って呼んでたのか!」

彼もサトウと同じような合点の行き方をしていたので思わず笑ってしまったのだが、早速彼はMちゃんのことを「お姐さん」と呼んでいた。こんなやり取りが和やかにおこなわれるから高円寺の夜は楽しい(いや、高円寺じゃなくても楽しいが)。

飲み屋に行っても楽しく飲めないという人は、まずはさり気に楽しそうに飲んでいる人を眺めてみるといい。店の人の動きなんかをそっと見るのもいい。そこである種の「ルール」のようなものに気づいたときに、酒や肴をいただくだけの場所だった飲み屋が違う空間のように思えるかもしれない。それがその店の「場」であり、味わいである。気に入る気に入らないは人それぞれなので店を変えるという選択だってあるのだ。どういう店がイイ!こういう店がお勧め!というのは人それぞれだが、なかなか気に入った店が見つからないという人は、自身が気持ちよく飲むためのちょっとしたルールを知らない場合も多い。いくらサービスを受ける側だといっても受け方というものもある。この辺り、アニメの受け手と作り手の関係にも似ている。作り手が面白い作品を作り、受け手が自身の素養を磨くことで結果的にお互いを高めていくというのは店と客の関係にも近しい。ただし飲食と違い、メディアはその享受の仕方があまりにも多様になってしまったために、同じ理屈は通用しなくなってしまった。一概に作り手の技量不足や受け手側の未熟を嘆くだけでは現在の商売としてのアニメの不振を語ることは出来ないだろう。「姐さん」「兄さん」と呼ぶだけで気持ちよく飲むことが出来るような「場」を作るための「何か」を考えないといけないんだよなあと思うのだが、なかなかそこまで考えが到らない。こちらはようやく料理(フィルム作り)が面白くなってきたばかり。精進いたしますのでまずはしばらくそれで勘弁して下さい、お客さん。

(2008年2月8日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)