高円寺酔生夢死 第二回

先日、結婚式があった。馴染の焼き鳥屋『博多や』の大将が新郎で、いつもの常連たちが大挙して押し寄せて出席するという、豪快爽快壮観な式だった。

サトウが高円寺で過ごした日々は、大きく二つに別れる。
ひとつは『美味村』を中心にした新高円寺な日々であり、もうひとつは今日へと到る『博多や』を中心にした高円寺北な日々。
いずれの頃も、気になったところを見つけたら飛び込みで飲みに入り、気に入ったら馴染にもなった。落ち着いて飲める店は裏を返せば回転が悪いということも言えるので、お客にとってのいい店が必ずしも店にとってのベストな状態ではなかったりする。馴染な店の中には看板を畳んだり他所へ移ったりしたりする所も結構多い。いまだに頑張って営業を続けているところは常連にとっても、新規の客にとっても(そして店の経営者にとっても)なかなか良い店なのだと思う。

『博多や』はそんな中の一件。ピンサロが沢山立ち並ぶ中通り商店街の中でも、赤い壁に沢山の提灯という独特の店構えは充分に目立っている。初めて来る人間に「ピンサロ通りをちょっと歩くと提灯の赤い店がすぐにあるから」と言えば十中八九迷わずたどり着いてくれるので、非常に都合が良い。開業は2001年の12月だから、ちょうど『学園戦記ムリョウ』の制作が終わった頃だった。高円寺3度目の引っ越しを考えていたサトウは、新高円寺から足を伸ばして高円寺北を下見していた。時間も夕方になると、中通りのピンサロの派手なネオンがいっそう派手に輝く。そこを抜けて『抱瓶』にでも行こうかなと思って進めた歩がすぐに止まった。

「あれ?」

『博多や』の店構えを初めて見た時に、思わず口をついて出た言葉がこれだった。

「これって青梅街道にあったよな?」

実は以前、同じ店構えで同じ名前の店が青梅街道沿いにあったのだ。場所は高南通りから環七方面に向かった辺り。サトウの新高円寺の家から歩いて10分以内、という位置にそこはあった。「イケメン店員のいる焼き鳥屋」という触れ込みで、何度かその前を通ると確かに若い店員が数名、串を焼いていた。何度か行こうとしたものの、ついにその店に行くことはなかった。いや、行くことは行った。ただ、消防庁の黄色いテープが厳重に貼られていたので入ることが出来なかったのだ。しばらくそのまま放置されていたテナントは、ほとぼりのさめた頃に改装し、彫金屋になっていた。サトウもそのままイケメン焼き鳥屋のことはすっかり忘れていたのだが‥‥

のれんをくぐると、そこにはイケメン店員の姿はなく、バイト風の女の子の店員と串を焼く大将の姿だけであった。カウンターに座り、注文がてら気のよさそうな大将に事情を聞くと、以前の店は店員のタバコの不始末で火事を起こしてそのまま営業停止になったとか。「今回の店は大将も従業員も全くの仕切り直しで別物なんですよ」「これも何かの縁ですからご贔屓に」と大将は語ってくれた。

かくして新居も決まり、物件の契約も完了。年末に引っ越して以来、週の半分は『博多や』へ通うことになった。前回、『美味村』をベースに店を開拓したと書いたが、高円寺駅周辺に於いては、この『博多や』をベースにあちこち出歩いた。ちょうど『宇宙のステルヴィア』や『獣兵衛忍風帖』の立ち上げの頃、武藤敬司に似た風貌の店員が入ってきた。割烹の修業をしていたという彼はすぐに焼きを任され、そのうちに大将になっていた。そんな彼=勉(べん)さんが結婚すると聞かされたのは去年末。こちらは『TOKYO TRIBE2』の制作も終盤で、ある意味ギリギリな感じだったが、何だか自分のことのように嬉しくなり力が湧いた(ような気がした)。

式の最後、挨拶で言葉を詰まらせた勉さんを見てサトウも泣いた。ここ数年の高円寺での様々な出来事や思いが一気に頭を駆け抜け、これから進むであろう自分の未来を思い、泣いた。もちろん、悲観の涙ではないことは確かである。

(2007年6月6日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)