高円寺酔生夢死 第四回

それは突然やって来た。ずいぶん昔になる冬の夜、自宅作業をしていた時に携帯に着信があった。飲み友達のTさんからである。普段は店で顔を合わせるのみで全く電話のやり取りなどしない人なのに珍しい。

「もしもし、どうしました?」
「サトウさん、Bに来て。大変なことになってるの」
「え?」
「ママさんがいなくなっちゃった。マスターは酔いつぶれて寝てるし、訳分からない。取りあえず来て!」

Bというのは当時の行きつけの店。ルック商店街の青梅街道寄りの電気屋の2階にその店はあった。ママさんの料理は美味しく、元デザイナーのマスターのセンスの良さもあって、小さいながらも店内にはいつも活気が溢れ、楽しい時間が流れていた……筈だったのだが。

「結局、楽しくやってたのは常連だけだったのよね」

ガランとしたBの店内にはポツンと一人、Tさんがいた。見ればテーブル席のベンチに酔いつぶれたマスターの姿が。他の常連たちも後から来るという。Tさん曰く、酒は何を飲んでも構わないとのこと。

「マスター、そう言って寝ちゃったの」
「タダなわけ?」
「そう、タダ。ここもおしまいね」

僕らはカウンターで淡々と飲んだ。黒龍は旨い酒だが、今は味わう余裕がない。事のあらましをTさんに聞く。

「最近は大口のお客さんも減っちゃって。カウンターはたしかに埋まってたけど、テーブル席はガラガラだったでしょ。それじゃなかなかやっていけないわよ」

Tさんは仕事の合間、手が空いた時にはBを手伝っていたので内情にも詳しい。

「開店して3年やってるし……大丈夫だと思ったんだけどな」
「それはマスターもそう思ってたんでしょうね。だから呑気にやってたんでしょうけど、ママさんはそうは思ってなかった。息子さんの進学もあるしね」
「そうなんだ……」

ママさんは元・税理事務所で働いていたので経理には強い。先行きのことについて、常々マスターと話をしようとしていたのにマスターは相手にせず、酒を飲みながらほろ酔い顔で客の相手をしていた。お客としては「マスターってば、しょうがないなあ」と高円寺にはありがちな、ある種の愛嬌として捉えていたのだが、ママさんにとっては我慢ならないことだったようだ。そしてついに堪忍袋の緒が切れた。

「で、ママさんは今どこにいるの?」
「実家。将来的なことをキチンと考えるまでは帰ってこないって」

しばらく経って、他の常連たちも集まってきた。みんなこの店で出会い、仲良くなった。職業もサラリーマンあり、役者あり、映画の編集マンあり、果てはアニメ監督あり(笑)で、みんなバラバラだったが、一緒に旅行に行ったり、会食をしたりと良い距離感でつき合える仲間だった。その中心にはいつもBがあり、マスターとママさんがいたのだが……。

「ここは一つ、誰かがこの店を引き継いでだねぇ」
「誰かって、誰が?」
「マスターとママさんがいないんじゃ意味がないでしょ。この店で、あの二人だったから意味があったんじゃない」
「そうだね」
「うーん。勿体ないなぁ」

マスターに起きて帰るように言って、僕らは店を出た。
店の明かりを見上げながら、僕は思わずTさんの手を握っていた。Tさんも握り返してきた。二人ともどことなく不安だったのだと思う。僕らは無言でそれぞれの帰途についた。

数日後、店は電気屋の倉庫になっていた——

現在、マスターもママさんも別の仕事をしているが、当時の付き合いもそのままに集うことが多い。大きなイベントとしては年に2回。春夏の甲子園の優勝予想をネタにして飲み、結果発表でまた飲むという、高校球児には本当に申し訳ない企画である。

そろそろ各地で高校野球の代表が決まっている頃であろうか。

また、Bの仲間たちが集まる日がやって来る。

(2007年8月1日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)