高円寺酔生夢死 第九回

ただいま2007年は12月31日。大晦日の夕方にこれを書いている。基本的にこのエッセイはリアルタイムなことは書かないことにしているのだが、今日くらいはいいだろう。

現在、1月から始まる新番組(『シゴフミ』という)を制作している。昔はアニメの新番組というと4月であった。なぜなら基本TVにおける30分アニメは子供の見るものであり、玩具や文房具などスポンサーの商品を売るための販促番組でもあった。それゆえに入学式(始業式)と共に番組に親しんでもらい、クリスマスやお年玉のお楽しみとしてどんどん買い物をしてもらう。そして最後に卒業式(終業式)と共に最終回を迎えて次なる新番組へとバトンタッチ——その繰り返しが常であった。2クールのアニメが増え出したのは90年前半辺りだろうか。当初は放送するのが目的だったアニメが、副次的であったはずのビデオパッケージそのものを売ることが主になり、その結果、春に新番を放送することに意味をあまり求めなくなった。それでも、3月に番組が終了するというのに対していまだに人はロマンを感じているのか、2クールならば10月に開始という場合が多い。1クールで1月開始というのは同様の理由なのかどうかは知らないが、『シゴフミ』は新年早々に始まって春先に終わる。というわけで、このエッセイとイラストをかいた後は、再び『シゴフミ』の作業に戻る予定だ。こんな時期にこんな締め切りがあるというのも何ともシャクな話ではあるが、こういうネタを文章として書けるのだからそれはそれでありがたい。

秋番や春番の監督をしていると、あまり新年を祝った憶えが無い。それ以外でも友人宅に行って鍋を囲んだりもしたが、どうにも年末年始は大勢で過ごすのは苦手だ。それは普段から大勢のスタッフとワイワイ仕事をしたり大勢の友人たちと飲んだりしている反動なのかもしれない。大抵の場合、いつも行く店々にふらりと顔を出しては常連たちのにぎやかな声を肴に酒を飲むのが常だ。高円寺の大晦日はさすがに大抵の店は休みに入っているのだが、サトウのよく行く所はおおむね開いている。中でもこのエッセイにもよく出てくる『博多や』。みんな「最後はここで」と思っているのか、一人二人、あるいは大勢で連れ立って現れる。店内はいつもの雰囲気に加えてどことなく新年への期待であるとか今年への悔恨であるとか、色んな思いが渦巻いてなかなかいい感じである。それゆえだろうか、顔を見知ってはいるが、話したことのない常連とも何とは無しに言葉を交わしたりもする。博多やでの大晦日は毎年変わったことが起きるのでなかなか面白い。初参りに行く相談をしていたカップルの女の子の方が隣の席のサトウと話をするうちに意気投合してしまい、一緒にきていた男の子を追い返してしまい…なんていうこともあった。新年気分が生んだ悲劇というかなんというか。「あんた邪魔」と言われて帰された男の子も気の毒だったが、はしゃぎすぎた女の子が飲みすぎて撃沈したのを介抱してタクシー乗り場まで連れて行ったサトウもある意味気の毒であった(と思う)。ちなみにその子は、別の馴染みの店長の彼女(当時)だったことが後に判明。後ろめたいことは何もしていなかったため、その話を聞いてホッと一安心したのも懐かしい。

今年の大晦日に関してはこれからの作業次第なのだが、なんとか樽酒はいただきたいところ。除夜の鐘前にはすべり込みたいが混んでいたらどうしたもんだか、ってあと数時間なのだが(おお、リアルタイム)。博多やで年を越した後は数時間寝て、年賀状が届く昼頃までのランニングが毎年の常である。コースは高円寺をぐるりとまわって中野を抜け、新宿副都心まで。飲んだ結果、初日の出を拝む機会は逸してしまうが、朝の光を浴びた街の姿を見ながら走るのは酒を飲むとはまた違った楽しさがある。楽しい、と書くくらいだからそのペースは実に遅い。あちこち立ち止まったりさっき来た道を引き返したり…結果数時間経ってしまうのであって決して軽快にマラソンをしているわけではない。花粉症になって以来、外でランニングを安心して楽しめるのは冬の季節ばかりになってしまったが、とりわけ正月に走ると体が清められるような気がするから不思議だ。実際は活性酸素やら乳酸やらが体にあふれ返ってしまうので気をつけないといけないのだが、快感には勝てない(笑)。

ところで『シゴフミ』。新年早々から死後文だなんて一休禅師の正月しゃれこうべな逸話を地で行っているような気がする。これはある意味ゲンがいいのかどうなのか。何はともあれ、あと6時間で年が変わる。

(2007年1月7日公開分)

読んで下さってありがとうございます。現在オリジナル新作の脚本をちょうど書いている最中なのでまた何か記事をアップするかもしれません。よろしく!(サポートも)