日本語教育に 携わった経緯について

私は、小学校時代から、幸い素晴らしい先生方に恵まれていました。当時の先生方とは、今現在(私はもう41歳です。)も、お手紙の交流があります。そして、私も小学校の先生になりたいと志すようになりました。

常葉学園大学 教育学部 初等教育課程 社会専攻に入学しました。 また、英会話イーオンにも入会しました。

19歳の春休みにはアメリカ合衆国 インディアナ州での1か月間の語学研修にも参加しました。

20歳の時には、常葉学園大学に来た、インディアナ州 エバンスビル大学の学生さん(日本語専攻)の日本語レッスンに 補助として参加しました。今思い返すと、これが、日本語教育への かかわりの原点です。エバンスビルの日本語専攻の教授は日本人女性で、その一年後にも常葉学園大学にいらっしゃいました。私のことを、覚えていて下さり、お声を掛けてくださいましたよ。

小学校教員を志していたのですが、20歳秋に疾病し、ほぼ一年大学に通えませんでした。 辛うじて、4年間で卒業だけはできたのですが、教員免許は取得できませんでした。

卒業時、就職先も決まっておらず、本当に大変でした。

不本意ながら、これまでに10社を渡り歩いてきました。 そのほとんどが、パートという非正規雇用でした。

10社の多くで、外国人の皆様と汗と涙を流し、苦楽を共にしました。

小学校教員免許ですが、2006年 26歳の時に 玉川大学 通信制 教育学部 に 科目等履修生として入学し、2007年 秋 27歳の時に、悲願だった小学校教諭第1種免許を取得できました。 中学校社会科、高等学校地理歴史教員免許もあと少しの単位なのですが、こちらは、教育実習も必要で、断念しています。社会人になってから、教育実習のために2週間仕事を休むのは困難ですから。

小学校教諭第1種免許状取得後、2009年7月に静岡県 特別支援学校教員採用試験を受験しました。 私は、左耳完全難聴者で、そのこれまでの経験も活かせると思ったからです。 でも、残念ながら不採用でした。

10社モノ職場を渡り歩き、たくさんの外国人労働者と働きました。中国人、台湾人、韓国人、インドネシア人、ミャンマー人、ベトナム人、インド人、ネパール人、スリランカ人、バングラディッシュ人、カンボジア人、フランス人、アメリカ人、ブラジル人、ロシア人などと働いた経験があります。 その経験が、現在の活動に大きく役立っています。

2015年 35歳の時に、Lighthouse oppnet 英語学院に入学し、英会話を再び学び始めました。

2017年 37歳の時に 袋井国際交流協会に入会し、同会の日本語サロンで、外国人の皆様に日本語を教える活動を開始しました。

2018年 38歳の時に、ヒューマンアカデミー日本語教師養成講座を受講し、無事に修了できました。

2020年 40歳の時に、袋井ベトナム友好協会とVN Shizuoka に入会し、ベトナム人の皆様への日本語教育活動を開始しました。 この活動は当初、チーム活動でしたが、コロナ感染拡大を考慮し、私ひとりでのオンラインレッスンやYouTube に切り替えました。

現在、物流企業に所属しながら、完全ボランティアの立場で、日本語教育活動に参加しています。 物流企業で収入を確保しながら、自由に、日本語を教えるスタイルを気に入っています。

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