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医療とはなにかを考える Vol.7 『臆病』

こんにちは。大空の下大前です。

今回で医療とはなにかを考えるVol.7です。

この記事を書こうとしていた矢先、今まで一番きつい風邪をひきました。
40℃を超える高熱が約2日続き完全にダウンしてしまいました。ちょうど遅めの夏や休みをかなり長く取っていたので、どなたにもご迷惑をおかけすることなく済んで幸いでしたが、大変な身体の大掃除でした。

今回の風邪のことは出来るだけ、記録を残しておきたいのでまた別記事にしたいと思います。(いろいろ発見がありました)

さて、風邪のおかげで当時なにを書こうとしていたのかさっぱり忘れてしまったので、いい感じです。

ここまで医療についていろいろと整理しつつ考えてきました。
医療を自己満足のために利用してきたこと。患者さんの悩みを解決するほど人の悩みを増やしてきたこと。死生観。医療は生命の上にしか成り立たないことなど。

そもそもこの記事を書こうと思ったのは、自分が今まで何を考え、どんなことをやってきたのかを明確したいと思ったからで、それを理解して初めて、これから成すべきことの輪郭がみえてくるのではないか?という考えからです。

ここまで記事を書いてきて、一言で言葉にするとしたら、「それが医療の正解なの?と疑問は湧くものの、医療の正解はわからない」といった感じです。
まー、なんとも中途半端な…という感じ。

その理由を考えていくと、もしかすると僕が「医療者」としてしか医療を考えてこなかったからなのかもしれません。

2022年。僕は今までにないくらい体調不良に苦しむことになりました。
まず春頃には盲腸(虫垂炎)になり、この時は抗生物質の劇的な効果を生まれて初めて体験して、薬に感動しました。そして次は右肩の激痛で、この時は自分で痛みが取れる施術ポイントを駆使して処置しました。そして今回のここ最近では最大級に辛かった発熱。背骨と骨盤が痛すぎて寝ていることもできませんでした。このとき一番身体が楽だったのは熱めのお風呂でした。

比較的、怪我や病気知らずでここまできた僕にとっては、こうした不調を体験し、患者様の立場に少しでもなれたことは幸運で、医療者が医療者の立場として医療を語っても、それは片面しかみえていないわけで、医療に携わる側だけでなく、医療に受診する側の気持ちや本音はとても重要だとあらためて感じています。薬の是非がいろいろと言われますが抗生物質は非常に有効な一打になり得るし、整体なんて非科学的だと言われても肩の痛みはなくなるし、風邪の時の風呂はだめだと言われても、僕の身体は楽になったんです。

整体やお風呂なんて医学ではないともいわれますが、実際患者の立場になると、あらゆるものは毒にもなるけど、薬にもなると言ったところで、あらゆるものは医療足り得るのだと思います。
人によっては、身体に悪いものをたくさん摂取することで体調不良を治す人もいて、そうなると「身体に悪いもの」が医療になっていることだってある。一枚の絵。一曲の唄。詩。が医療以上に医療としての効果を発揮することだってあります。

医療とは、「いわゆる医療」だけが医療なのでしょうか?

生に執着するのための手段が医療なのでしょうか?

より苦痛なく生きるための方法を探求するのが医療の正解なのでしょうか?

死を否定し遠ざけることが医療の目的なのでしょうか?

どれも正解ではないけれど、不正解とは言えない。当たり障りのない意見を言いたいわけではないのですが、率直にそう感じます。

医療者の立場から医療を考える。
患者様の立場として医療を考える。
これらはとても重要な要素ですが、医療の本質をみつめていくにはもう一つ重要な視点があると思っていて、それは既存の医療を「客観的に」みる視点という気がしています。

医療者の立場から医療を考える。
患者様の立場として医療を考える。
というのはそれぞれ角度は違いますが、当事者であるという点では同じで、医療者は医療者である限り、病状を緩和するために懸命であるし、患者様は病状を緩和させて欲しくて医療機関に相談するはずです。

「病状の緩和」というものに縛られない中で活動してみたときに、医療とは一体なんなのだろう?と感じています。
ちょっと意味不明かもしれませんが、医療は一般的には「病状を治しません」とは言えないし、患者様も「治してほしくはない」とは言えない(言えないというか、医療にかかる意味がない)わけで、その枠組みの外側から医療をみる(あるいは携わる)と、何が見えるかは知りませんが、今より鮮明になる部分があるのではと感じています。

そうした意味で、客観的に医療をみる視点が必要なのかなと感じています。

今まで医療の畑で育ち、医療者の端くれとして、医療を考えてきたわけですが、その立場以外を僕は体験したことが現状ありません。なので、今見えているものに対して「違うような気もするんだけど…」としか言いようがないのだと思います。

恐らく、今までとは違った角度で活動をしてみないと、わからないことがあって。Aしか経験していないのに、知らないBを否定も肯定もはっきりできないですよね。AもBもやってみて、はじめて自分なりのものが見えてくるのではないかと思います。

しかし、人間は知っている側にできる限りしがみつこうとするもので、臆病心が顔を出します。厄介なものですね。
時々こんなめんどうなことなんかせずに、普通にお金を得られる形を追求して、家族と楽しく過ごしたいななんて思いますが、もう後には引けそうにもなくて、行くかやめるかの2択を突きつけられています。
選んだ道が悪かった。絶賛迷路にいて、出口など検討もつかないのですが、選んだ道で咲ける場所を探すしかないとなんとか踏ん張りたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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