身近な「割れ窓」と向き合う
「割れ窓理論」というものがある。
建物などの窓が割れているのを放置すると、その状況に誰も注意を払わなくなり、やがて2枚目の窓が割られる。
人々は次第にゴミをまき散らすようになり、治安が悪化してゆく。
具体的で大層な例はWikipediaにいくつか載っている。
身の丈に合うレベルに落とし込んでみる
例えば家庭では、リビングに1冊の雑誌を放置すると
「少しくらい散らかってもいいか」
という気持ちが芽生えてしまい、気づかないうちに部屋は汚くなってゆく。
例えば仕事(システム開発)では、コードベースに悪い設計や質の低いコードを入れてしまうと
「あの処理も汚いしな…」
と甘えが生まれ、質の低いコードが量産されるかもしれない。
しっぺ返しを食らうのは常に自分であり
「リビングに置いていたはずの財布が見つからない」
「拡張性に乏しいコードばかりで開発速度が上がらない」
などと嘆息することになる。
どう対処すればよいのか?
理想的な、秩序の保たれた環境であれば、1枚目の窓を割らないように注意すれば良い。
しかし、大抵の場合、窓の1枚や2枚は割れている。割れ窓があるなら、修繕していくしかない。
ゴミ拾いと同じで、見つけ次第やる。
少しだけ面倒なことを、淡々と継続するだけだ。
誰がやればいいのか?
まずは自分からやっていく。
見向きもされなくても、黙々とやっていけばいいのだと思う。
いずれ賛同する誰かが同じ挙動をとり、仲間が増えれば儲けものだ。
我が家ではリビングやキッチンなど、少々治安が悪い部分が見受けられた。
ということで今日は片付け(目についた割れ窓の修繕活動)をした。
明日にはまた子供が散らかしてしまうだろう。
そうだとしても、挫けることなく、自分が気づいたときに片づけるだけなのだ。
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