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子育て中に感じる矛盾ーなぜ自分には許せるのに、子どもにはイライラしてしまうのかー

子育て中には、日々様々な状況に遭遇する。中でも、子どもの行動や反応にイライラした経験を持つ親御さんは多いのではないだろうか。

恥ずかしながら、私自身もその1人である。子どもがなかなか言った通りに行動してくれない時など、ついついイライラしがちである。

しかし、その一方で、自分自身がスマホをいじっていたり、好きなことに没頭しているときには、時間の流れに任せてゆったりと過ごせることはないだろうか。

例えば、息子がお風呂でいつまでもシャワーで遊んでいるとする。私は早く入浴を終わらせてお風呂から出たい。「ほら、早く出るよ」と言っても、息子はシャワーに夢中である。仕方ないので息子が遊ぶのを完了するまで待つこととし、私はスマホを取り出し、妻からのLINEをチェックし、返信をして、ついでに他の人からのLINEをチェックする。それでも時間があれば、Twitterでも開いて。。。

するとどうだろう。これまで「早くお風呂を終わらせたいのに」と思っていたくせに、自分がスマホをいじりだすと、別にそれはどうでも良くなってくる。このような状況に遭遇すると、なぜ自分には許せるのに、子どもにはイライラしてしまうのかと矛盾を感じることがある。

この矛盾を感じる背景には、何があるだろう。客観的になったつもりで、考えてみる。

つまるところ、我々は自分のペースを乱されるのが嫌というだけではないだろうか。今日はあれをしたいから、何時までにはお風呂とご飯を終わらせよう。ちょっとゆっくりお酒を飲みたいから、ちゃちゃっと寝かしつけまでやろう。見たいドラマがあるから、読みたい本があるから、ブログを書きたいから、Youtubeを見たいから、勉強したいから、、、

育児中の親として、こういう感情を抱くのに問題があるか、悪いか、ダメなのか、と言う視点で言えば、ダメということはないはずだ。自分の時間を確保したいと感じるのは自然なことであり権利であるはず。これまで自分のやりたいことはやってきた。大学生、社会人、結婚、といういくつかのステージを経験してきたとはいえ、やりたいことはやってきた。これが、やれなくなる。自分の時間を大切にしてきた人なら尚更、それはストレスになる。

いやいや、育児をしながらでも自分の時間を確保しながら何とかやってる人もいる、という声も聞こえてくる。それはそうだが、「自分の時間がある」というのと、「自分の時間を捻出している」という状況はやはり違うはずだ。これまでは何気なく過ごしながらも自分の時間があったのに、意識して時間を捻出しなければならないというのは、やはり違う。

それでは、どうしたら良いか。

まず大前提として、小さい子供は、親の事情を察して大人しくするなんてことはしないしできないわけだから、ある程度、妥協や諦めが必要だと思うのだ。その上で、子供達にも自分のペースがあるのだと、認識しなければならない。

例えば仕事で、勉強で、「今日はここまでやろう、これには少し時間をかけてやろう」と計画していたとする。目の前の机には、関連する資料や教科書を開いてある。その時、親に、上司に、「いつまでそんなところに時間かけてるの。それは早く終わらせて、こっちをやりなさい」と資料や教科書をどかされて、代わりに別の問題集を置かれる。

挙げ句の果てに言われるのだ。「それが終わるまでスマホ開いちゃダメだからね」

それがすぐ終わる作業ならよかろう。ちょっと自分には大変だなあ。時間がかかるなあ、という場合。3時間くらいかかるなら、その間に1回くらいトイレに行くだろう。トイレにこもっている間、ちょっとくらいいいかな、とスマホを開いて、、、その時、トイレのドアが開けられ、こう言われる。

「終わるまでスマホ見ちゃダメって言わなかった!?」

子供だから、と特別扱いするのは極めて危険だ、と子育てをしてから思うようになった。彼ら、彼女らも、親と同じ1人の人間である。「ここまでやってお父さんに見せてあげよう」「これをお母さんに作ってあげよう」「昨日よりちょっと先まで、ここまでやってみよう」など、子供は多分、彼らなりにビジョンを持っていると思うのだ。

言い換えよう。ビジョンを実際に持っているかどうかはさておき、持っていると思って敬意をもって接するべきではないかと、そう思うのだ。

そう思って、改めて見てみる。もちろん、いつも冷静に子供と接することができるかといえば、そうではない。むしろ時間がなかったりして焦った挙句、「ほら、もう行くよ」と無理やり、、、ということもざらにある。しかし、そういうことに意識してみる。

「こういうことやりたかったの?そうか、それは面白いね」
「そっか、楽しそうだね。ちょっとやってみるか。でもちょっとだよ?」
「時間がないから、今日は帰ろう。でも、今度やってみようね。約束。お父さんもそれ、楽しそうだからちょっとやってみたい」

彼らなりの美学や哲学を尊重されているか。尊重されない状況があったとしたら、そこに時間がないなどの事情があるのか。それは親の都合ではなく、本当に仕方ない状況であるかどうか。そういうことを、シビアに自問自答する必要があると思うのだ。

自分が子供の頃、親に対する不満を抱かなかっただろうか。抱かなかったということはないだろう。誰でも何かしら不満を抱いている。ただ、大人になってから、「あれもきっと仕方なかったんだろうな、事情があったんだろうな」と感じられるかどうかはきっと大切な問題だと思う。

これは生き方の問題だ。自分が子供だった頃、理不尽だと思ったことはしない。自分が大人になってありがたかったと感じられることなら、大変でも頑張ってやろう。それらの逆も然り。親にはしてもらえなかったが、これをしてもらえたら有り難かったと思うことならしよう。そういう視点で、自分の育児を見直してみる。

人間には個人差がある。自分が嬉しかったからと言って、子供が嬉しがるかどうかは別。それはそう。だが、人間はそう考えていくしか、他人の思いを推し量ることはできないのだ。もし自分だったら。そう考えるしかないのだ。

どんな育児ができるか、それ自体よりも、「良い育児をしようとどれくらい努力し試行錯誤したか」ということが、後になって後悔しない育児に繋がるのでは、と最近思うようになった。育児に正解や不正解はないのだから。

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