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寄り道がその人の豊かさをつくる

いろいろな寄り道をしてきた。

インターネットにアクセスすれば、無料で膨大な情報に触れられる現代。一流芸能人やビジネスパーソン、インフルエンサーが、「効率的な生き方」や「生産性を追求した時間の過ごし方」のような情報を発信している。

誤解なきよう予め断っておくと、わたしはそういう類の記事や情報が嫌いではない。なんならむしろ好きだ。シンプルで無駄のない,洗練された生き方は,自分がやりたいことをやる時間を捻出してくれるし,作業効率も上がる。

だが,人間,それ「だけ」ではつまらないと思うのだ。

大学生だった頃,わたしは地震学の研究室に入り,地震について研究していた。研究テーマについてここでは書かないが、どんな作業をしていたかというと、コンピュータを使った計算である。計算は、鉛筆とコピー用紙でできるような計算ではなく、コンピュータを使って行うのだが、その計算プログラムは自作をしなければならなかった。いわゆるプログラミングである。

もちろん、たとえば「2地点間の緯度経度から、その距離を求める」のようなよく使われる部分については、研究室で持っているプログラムがあったり、インターネットを調べれば計算式が載っていたりするが、本質的にやりたいことは多くの場合、既存のプログラムではできないので、自分で作る必要がある。

指導教官から「この計算をやってくれないか」と言われて、「プログラムはあるんですか」と聞くと「作るんだよ」と言われた。何を言ってるんだ、というような表情だった。今思えば全くその通りなのだが、「プログラムを作る」という作業に慣れていない身にはとてもハードルが高かったように感じた。

プログラミングは多くの場合、コンパイル環境の構築、エディタの導入など、いくつかの初期作業が必要である。その多くは、パソコンに詳しくない者にとってはこれまたハードルが高い。こういった修行(?)の賜物で、私はある程度、パソコンの操作に詳しくなった。

コンピュータに対する苦手意識を克服できたことは、webにアクセスし、専門分野と異なる分野の勉強をパソコンを使ってできるようになったり、当時まだ普及していなかったiPadで論文を読んでPDFに直接手書きメモを記入するような、デジタル作業の効率化を実現することができた。

また、本来の目的であったプログラミング自体も、同期たちの中では得意なほうになった。プログラミングは、システムエンジニアのようにプログラミングを生業とする技術者でなければ、習得していないことが多い。少なくとも私が就職した時期には。プログラミング自体を必ずしも必要としない会社でプログラミングできるというのは、それなりにメリットとなる。何か新しい研究やプロジェクトを始めるとき、既存のソフトウェアでできない処理をするには、プログラミングが必須なのだ。

プログラミングに自信を持った私は、ある時、津波のシミュレーションに興味を持った。当時、東北地方太平洋沖地震が起こった直後で、津波のシミュレーションに関する研究論文や文献も多くあった。そこで、それらを参考に、自分でゼロからコードを書いてみることに挑戦してみたのだ。

もちろん、研究で使われているレベルの精度をもつシミュレーションコードを自作するのは容易ではない。自作したコードがそのレベルの精度を持っているかは正直なところ、微妙だが、、、自分で検証した結果、それなりに使えるレベルのコードができたことは事実だ。このことは、私のプログラミングに対する自信を大いに高めてくれた。

また中学で始めた音楽、オーケストラや吹奏楽で弦楽器をいくつか私は経験したが、それは社会人になってからも多くの友人を作るのに貢献してくれた。また、現在の結婚相手も、音楽をやっていなかったら出会っていなかったわけだし、さらには息子との出会いも同様である。

さらに言えば、音楽は地震波と同じ波動であり、それらを記述する物理は基本的に同じである。音楽に関する知識は、地震波の物理を理解することを助けてくれたし、逆に地震学の知識が音楽の物理を理解するのに助けになったこともある。

とても多くの寄り道が、今の私を形作っている。当時であれば、音楽は受験に必須ではないし、地震の研究をしているときに研究テーマと関係ない津波のシミュレーションは寄り道でしかない。しかし、そうした経験が今になって役立っているのも事実である。

当然ながら、「将来、これが役に立つ局面があるだろう」と期待して多くの経験をしてきたわけではないし、それは不可能だ。スティーブ・ジョブズが「点と点を結ぶ〜Connecting the dots〜」というテーマで講演したことがあるが、これはそういうことだろう。以前、私はそのことについてnoteを書いたこともある。

一方で、それじゃあ闇雲に多くの経験をすれば、将来役立つ局面がそれに比例して増えるかと言われれば、そうでもないのではと思う。重要なのは、「いま」を必死に生きて、その時々の課題に対し、真摯に、必死に、全力で取り組むことだと思う。それでこそ、直面した問題に深く考えることができるし、記憶にも残る。必死に考えることで、過去の記憶が蘇り、過去の点と点が線になることもある。

そして、その積み重ねで、「人生に無駄などない」「いまの生き様にはかけがえのない価値がある」と信じることだと思う。

誰も真似できない。お金さえ稼げば良いのではない。異性にモテれば良いわけではない。仕事で成果を出すことが全てではない。結婚して子を儲けることが全てではない。「いま」「私が生きていること」これはこれだけで、かけがえのない価値のあることだと、信じることである。

自分の未来は、きっと素晴らしい。未来の元となる自分の現在も、きっと素晴らしい。そう信じるのは、自分しかできない。素晴らしいと決めるのも、自分しかいない。それだけだ

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