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【映画感想】あのこは貴族

※本稿はネタバレを含みます。

映画に登場する3人の貴族。
最初は華子だけが貴族だと思っていた。美紀は貧乏で、生きていくことに苦労しながらも、華子とは違う、縛られない生き方をしている点での対比が目立つのだと思っていた。
映画を見ていくと、華子だけではなく、美紀もまたある意味で貴族だということがわかる。地方から東京の超有名私大に入学し、そのままずっと東京に住み続けている。地方に帰って同窓会に参加するも、長い間地元を離れてしまっているため話す人もいない。地元のシャッター街を見て、「相変わらず死んでんね」と呟く。地元の人から見たら、美紀は東京に出てエリート街道をすすんでいる、選ばれた「貴族」だった。
映画に出てくる3人の「貴族」は、それぞれ悩みを抱えている。そして、皆それぞれに自分の人生に対しての回答を探している。
榛原華子は、見ていてとてもかわいらしかった。正直映画を見る前は、いわゆる特権階級の、世間を知らない女の子としてのみ描かれるのだと思っていた。華子の生活、仕草などはまさしく特権階級の人のそれで、あまりにもすがすがしく、嫌味にも感じないくらいだった。ああ、このタイプいるよな、と、頭の中で今まで出会ったことのある何人かを思い浮かべた。本人は、自分の生活が自然なものだと信じて、まったく違和感を抱いていない人。それでいて、生活水準の合わない人とは付き合えない人。人を見下すとか見下さないとか、そういうことじゃなく、本当に自然体で、今の自分の生活を当然のこととしてとらえている人。こういう人には、嫌悪感も感じることができない。


華子は本当に箱入り娘だった。世間を知らない人だった。結婚をすることが幸せだと教えられ、その通りに信じてきた。幸一郎と出会って、好きになり、自然の流れで結婚した。華子はそこに対して疑問をもっていなかった。
華子の所作の、一つ一つが美しく作りこまれていた。テーブルから落ちたスプーンは必ずウエイターに取らせる。テーブルに座るなり、ダージリンのミルクティーを何のためらいもなく注文できる。不快なことに直面したら、とにかくその場から逃げ出す。本当に蝶よ花よと育てられてきた人の特徴が、細かく再現されていた。
華子が友達と話す場面もまた、華子の階級を表現するものとして見事だった。華子の友達も当然のように特権階級で、ホテルのアフタヌーンティーをスタバ感覚でたしなみ、プロのバイオリニストの友達に自分の結婚式に来てほしいと頼むと、すぐにOKを出してくれる。閉じられたコミュニティの中でビジネスが完結してしまう。
幸一郎はそんな華子よりも上の階級の人で、国の中心みたいな家柄の子だった。将来は政治家になることが決まっている家で、なんとか家族の期待に応えようと努力する人だった。華子が結婚できたのも、華子の家柄に問題がなかったから、ということが大きいのだろう。たぶん好きという気持ち以上に、結婚できる子なのかどうか、という目線で華子のことを見ていたのだろう。
幸一郎は大学時代に美紀に出会った。美紀はその後、キャバクラで働いているときに幸一郎と再会し、そこから本格的な交流を持つようになる。この二人の関係がすごく不思議だった。お互い、どんな気持ちで付き合っていたのだろう。恋愛ではなかったようだ。美紀は幸一郎を一番の友達と思っており、幸一郎は美紀をいつでも呼び出せる都合のいい女だと考えていたようだ。本当にそれだけだったのか、もう少し深い気持ちがあったのではないか、と考えてしまうが、映画ではそこが描かれることはなかったと思う。
華子には見せないラフな態度を、幸一郎は美紀に見せていた。中華屋でビールを飲んだくれ、言葉遣いも雑になる。美紀の前では気取らなくて良い、ということで、幸一郎も助かっている部分があったと思う。ただ、幸一郎のような人が、人間関係をどのように捉えているのか、想像すると非常に怖い。華子のことを興信所に調べさせることを普通のことと言い切るところから、非情さがかいま見える。とにかくリスクを極端に避け、付き合う人は役割別に分け、気持ちを深く入れすぎないこと、いつでも家族を優先することを教えられてきたのだと感じた。
幸一郎のつながりで、華子は美紀と出会う。幸一郎と三人で会う場面がなかったし、幸一郎が華子と美紀がつながっていることを知っている描写もなかった。美紀は華子のことを、鼻持ちならないやつと思って嫌うことはなかった。たぶん、美紀が大学に入る前や、在学中に出会っていたら、嫌いになっていただろうが、大学中退し、自分の道を歩き始めている時に出会ったのが良かったのだろう。ちゃんと自分と一線を引き、華子に接する。自分の生活が華子の生活と絶対に交わらないことを、これまでの経験から身に染みて感じている。

華子と美紀の出会いで、東京の階級社会を考えさせられる。どうしても華子と美紀を対比してしまう。それぞれ全く違う人生を歩んできていて、これからも交わることのない階級。絶対的に線引きはあり、同じ東京に住んでいるとは思えないほどの違い。映画を見る前は、華子がもっと美紀の側に引き込まれていくのだと思っていた。よくある話の流れで、箱入り娘だった子が、庶民と出会うことで、どんどん庶民化していくようなストーリーを想像していた。この映画はそうはならなかった。華子は最後まで自分の階級にいて、美紀と同じところに降りていこうとはしなかった。
華子は、幸一郎と離婚する。なぜ離婚したのだろうかと考えると、美紀との出会いが引き金となったと思う。家に閉じ込められ、狭いコミュニティの中で生きてきた自分に疑問を持つようになったのだろう。美紀の部屋に招かれ、美紀のものでいっぱいの部屋を見た時に、華子も何か自分だけのものがほしいと感じたと思う。その後、華子が家に帰り、幸一郎の隣でソファにもたれかかっている時、華子は女性としてすごく強くなっていた。自分で何かする、という意思が体の中で育っていて、幸一郎との幸せなんて気にする隙も無いくらいだった。離婚まで至ったのは自然だろう。
美紀は、友達と起業する。成功しているのか、よくわからない。美紀も、はたから見ればすごく煌びやかな経歴だ。有名私大に入り、東京で働き、友達と起業して頑張っている。部屋も、全然貧乏ぽくなく、趣味の良い、生活感のある部屋だった。地方で住んでいるほかの子から見れば、自分とは別の世界の住人に見えるだろう。東京にあこがれを抱い地元を出て、その憧れが自分には一生手の届かないものだと気づかされ、それでも東京に暮らし続けて幻想に手を伸ばそうとする。すごく自由だし、すごくかっこいいけど、うらやましいかと聞かれると途端にわからなくなる。華子がバイオリニストの友達のマネージャーをやるようになったことに対しても同じ感想を抱く。結局、二人が成功するかなんてわからない。もしかしたら手ひどい失敗をして、生活していけなくなるかもしれない。そう考えると、手放しに彼女達の人生を喜べない。映画のラストがハッピーエンドだったのか、どうか。

人生は本当に難しい。

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